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<岩手・宮城内陸地震10年>あの日と歩む(1)祈る どこかで生きていて

両親の墓前に花を供える高橋さん=山形県金山町
菅原昭夫さん
伊藤千秋さん

 死者17人、行方不明者6人を出した2008年の岩手・宮城内陸地震は、14日で発生から丸10年となった。道路などのインフラは復旧し、山あいの集落はかつての姿を取り戻したかに見えるものの、人々の心の復興や地域再生の度合いはまだら模様だ。喪失感と向き合う遺族、産業振興に歯を食いしばる住民、集落の再興を誓う若者。関係者らの現在を見つめ、地域の未来を展望する。(若柳支局・古関一雄、栗原支局・土屋聡史、一関支局・浅井哲朗)

◎山形県金山町 高橋良平さん(28)

 台風の季節は少し憂鬱(ゆううつ)になる。各地の土砂崩れが報道される。被害映像を見るのがつらい。
 山形県金山町の会社員高橋良平さん(28)は内陸地震で両親を亡くした。父伸好さん=当時(56)=と母美也子さん=同(50)=が、栗駒山で消息を絶った。県境を越えて山菜採りに行ったはずだが、手掛かりは何も見つかっていない。
 10年に葬儀を営んだ。墓前で手を合わせるたびに浮かぶ言葉がある。「生きていてほしい」。両親を弔っているのに、自分でも矛盾していると思っている。でも願わずにいられない。
 数年前のテレビ番組が頭から離れない。行方不明者が記憶喪失となり、人里離れた場所で見つかったという話題。身近で起きるはずがないと分かっていても、奇跡を待ち望んでしまう。
 発災時は18歳。就職して間もない頃だった。1歳下の弟は高校3年生。2人で途方に暮れた。親戚と関係機関を回っても有力な情報はない。1年後の再捜索も成果はなし。無念だった。
 捜索終了を受けた記者会見。行政や捜索隊が努力してくれたのは十分承知していた。「両親も納得していると思う」。本音をのみ込んで質疑に応じた。
 3年前に結婚した。長男が生まれ、自分の家庭を持つことができた。居間から家族の笑い声が聞こえる。何げない暮らしの中で、親になったことを実感する。
 ふと思う。「父母がいたら今の自分をどう見てくれただろう。一緒にどんな生活を送っていただろう」
 あれから10年。現地で行われた14日の追悼式でも、祈りの言葉はいつもと同じだった。「お願いだから、どこかで生きていて」

●重なる思い

<悲しみと悔しさ深く>
 栗原市栗駒耕英にある駒の湯温泉の湯守菅原昭夫さん(62)は、母チカ子さん=当時(80)=と兄孝夫さん=同(58)=を亡くした。駒の湯温泉では7人が犠牲となった。
 10年たっても悲しみと悔しさは深くなっています。あの日のことを忘れたことはありません。
 日帰り入浴施設として温泉を再開して3年になります。12年の足湯に始まり、そばが売りのカフェが入るレストハウスも併設しました。湯を守り、山で生きていく覚悟です。
 今年も訪れた6月14日。慰霊碑の前でどんな言葉を重ねたらいいのか。しゃべる前も、しゃべった後も毎年思い悩みます。こうしたことが、いずれなくなればいいのですが。

<肖像画を眺める日々>
 仙台市青葉区の主婦伊藤千秋さん(75)は、弟の森正弘さん=当時(61)=と正弘さんの妻洋子さん=同(58)=が栗原市花山の白糸の滝付近で亡くなった。
 弟夫婦とは大の仲良しでした。彼の大きな顔写真を直視できずにいます。胸が詰まるからです。代わりに夫が描いた肖像画を眺める日々です。10年は節目と言われますが、彼を思う気持ちに節目はありません。
 今も時々、『まーさん、元気ですか』と語り掛けます。栗原市を訪ねる際は少しでも彼らの最期を感じようと、つい現場近くに足を運んでしまいます。
 14日の追悼式で地元の人が現場に残る弟の車からナンバープレートを外して持ってきてくれました。弟と思って大事に保管します。


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2018年06月16日土曜日


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