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<岩手・宮城内陸地震10年>あの日と歩む(2)支える 名物豆腐の灯消さぬ

出来たての豆腐を型から外す佐々木さん
栗原市栗駒耕英の農業大場浩徳さん
一関市厳美町の佐藤雅樹さん

 死者17人、行方不明者6人を出した2008年の岩手・宮城内陸地震は、14日で発生から丸10年となった。道路などのインフラは復旧し、山あいの集落はかつての姿を取り戻したかに見えるものの、人々の心の復興や地域再生の度合いはまだら模様だ。喪失感と向き合う遺族、産業振興に歯を食いしばる住民、集落の再興を誓う若者。関係者らの現在を見つめ、地域の未来を展望する。(若柳支局・古関一雄、栗原支局・土屋聡史、一関支局・浅井哲朗)

◎栗原市花山 佐々木亨治さん(59)

 岩手・宮城内陸地震で山あいのなりわいは大きな打撃を受けた。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の影響もあって、この10年で地域活力の低下に拍車が掛かっている。名物豆腐を作り上げる主人、イチゴや大根の生産農家、イワナの養殖業者。逆風の中、地場産業の担い手たちは「地域を支えたい」と踏ん張っている。

 午前4時半。朝日が差し込む作業場に豆の香りが立ち込める。還暦間近の身に力仕事がこたえる。
 栗原市花山の佐々木亨治さん(59)。会社員と豆腐店の二足のわらじを履いて2年になる。作るのは地域の国史跡の名を冠した名物「御番所豆腐」。濃厚な味わいと一つ800グラムの重量感が売りだ。
 内陸地震で集落は激しい揺れに襲われ、生まれ育った自宅兼作業場が損壊した。近隣は避難区域となり、一家で地区外での借家暮らしを強いられた。
 豆腐店は同居する父幸通さん(86)、母順子さん(84)が創業して60年以上になる。切り盛りしていた2人が2年ほど前に相次いで体調を崩し、存続の危機に直面した。「店の灯は消せない」。会社勤めの傍ら、一から豆腐作りを学んだ。
 看板を背負ってはみたものの、地元の温泉宿は休業が続く。購買層の観光客は戻らない。売り上げは地震前の半分程度に落ち込んだ。勤務先の給料も合わせて暮らしているのが実情だ。
 先行きは見えないとはいえ、通い続けてくれる地元客がいる。隣県や仙台圏から買いに来る熱烈なファンも少なくない。「ここの味が一番」。そんな言葉が何よりの励みになる。
 両親は避難後も作業場に通い、黙々と豆腐を作り続けた。「大事なのはお金より周囲の笑顔だよ」。そう言って地元住民に配っていた気持ちが、今は少しだけ分かる気がしている。
 耐用年数を過ぎたボイラーは異音を発する。いつ止まっても不思議じゃない。「やれるだけやる。味を支えるのは自分しかいない」。自分に言い聞かせ、今日も早朝の作業場に立つ。

◎若い人の力足りない

 栗原市栗駒耕英の農業大場浩徳さん(57)は特産のイチゴ、高原大根を作る。地元組合員で運営する観光施設「山脈ハウス」の組合長も務める。
 地震当時は、露地もののイチゴの出荷直前でした。畑は2年間手付かずの状態に。苗作りに着手するまで3、4年を要し、収入が戻るまで7年かかりました。その間、7戸ほどあった露地イチゴ農家は私だけになりました。
 東日本大震災の影響で3分の1になった山脈ハウスの客足は、イワナ丼を売りに何とか盛り返しています。耕英地区に若い人の力が足りないと痛感します。同じ開拓2世の生産農家も今は5、6人ほどに減りました。やれるだけやろうと、心に決めています。

◎なじみ客 再び励みに

 一関市厳美町の佐藤雅樹さん(64)は、イワナを養殖して販売する「峠のイワナ屋」を経営している。地震で道路が寸断し、ヘリコプターで救出された。
 周囲の山々が、ごう音とともに崩れました。壊れた取水施設を直し、営業再開できたのは3カ月後。客足が遠のき、付き合いの長かった宿泊施設との取引も途絶えました。
 道路が復旧すると、なじみのお客さんが戻り「おいしかった」「また来る」と励ましてくれました。経営は厳しいままですが、おいしい塩焼きを地元の味として守っていきます。
 地震を一緒に乗り越えた父が昨年、引退しました。「寒い時期に餌をやり過ぎるな」と今も独り言のようにアドバイスをくれます。


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2018年06月17日日曜日


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