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<あなたに伝えたい>責任を全うした姿、誇らしく

新築した自宅で淳一さんの写真を見詰める紀雄さん=南相馬市原町区

◎浜名紀雄さん(南相馬市)から淳一さんへ

 紀雄さん 淳一は一人息子。小さい時はやんちゃで活発だったけれど、手のかからないしっかり者。嫁とも仲が良く、朝早く2人で仏壇に手を合わせていました。消防団でリーダー役を果たしていたね。
 揺れた時は勤務先の浪江の工場にいて、消防団の招集を受けたようです。「みんなを集めていてくれ」。消防団の仲間が見せてくれたメールにそうありました。気をもみ急いで帰ったんでしょう。淳一らしい。
 家族で捜しました。浪江町で渋滞する対向車線を横目に、車で役場へ病院へ。早く見つけたい一心で。渋滞が東京電力福島第1原発事故の避難の列だとは、全く気付きませんでした。
 見つけたのは9日後。沿岸の国道6号沿いに、うつぶせで倒れていました。
 顔は見なくても分かったよ。息子だもん。眠るよう。離れるのがつらくて納骨には時間がかかったな。
 経営するカラオケ店を継いでほしかった。断られたけれど、震災後、お母さんから「『俺がやるしかないか』と話していた」と聞いてうれしかったよ。
 2013年、南相馬市原町区に新居を建てました。一角は淳一のスペース。帰宅後にビールを供えて写真の顔を見るのが日課。震災前は互いに忙しく、擦れ違いが多かったから。
 今年、消防団が殉職団員の顕彰碑を建ててくれたよ。責任を全うしようとしたお前の姿は誇り。だけど、一度も仏壇に手を合わせていない。もう戻らないと認めたくないんだ。

◎消防団のリーダー役 しっかり者の息子

 浜名淳一さん=当時(42)= 南相馬市鹿島区の自宅で父紀雄さん(75)、母シゲ子さん(73)と妻との4人暮らしだった。地元消防団の活動のため、福島県浪江町の職場から車で地元に戻るさなか、津波に遭ったとみられる。当時の自宅も津波に流された。


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2018年06月24日日曜日


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