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<B2仙台>退任の中村球団代表「個人経営限界感じた」

中村彰久(なかむら・てるひさ)仙台二高3年時に全国選抜優勝大会4位。東大バスケットボール部で主将、監督を務めた。大学院時代に米ペンシルベニア大にコーチ留学。帰国後は東京海上火災(現東京海上日動)、クラブチームの千葉バジャーズの監督を経て2004年5月にチーム運営会社の仙台スポーツリンク(現仙台89ERS)を設立した。仙台市出身。

 バスケットボール男子、B2仙台の中村彰久球団代表(47)が今月限りで退任する。経営権をサプリメントのHALEOブランドで知られるボディプラスインターナショナル(仙台市)に移譲し、日本バスケットボール協会のスタッフに就く。仙台は2005年に日本初のプロバスケットボールリーグとして誕生したbjリーグのオリジナルチームの一つ。創業者としての思い出を振り返ってもらった。(聞き手は射浜大輔)

 −ゼロから築き上げてきたチームを手放す。
 「個人経営の限界を感じたのが理由だ。bjリーグからBリーグに移行し、企業を母体とするチームとは、最大で3倍近い人件費の差が生じた。じくじたる思いはあるが、よりよいチームにするため経営権の移譲を選択した」

 −日本のプロバスケットボールの黎明(れいめい)期から携わっている。
 「一からのスタートで決して順風満帆ではなかった。企業スポーツが衰退する中で、子どもたちの憧れとしてのプロリーグが必要だという信念に燃えていた」
 「リーグもチームも手探りで、仙台も初年度から赤字続き。経営破綻したチームもある。少しずつ軌道に乗り、初の黒字化が見込めた11年に東日本大震災が起きた」

 −チーム存続の危機だった。
 「地元仙台をはじめ、全国から支援があった。感謝の気持ちでいっぱいだ。思い切った経費圧縮を実施して再参戦した」

 −好成績を残してきた当時の浜口炎監督(現B1京都)と再契約を見送った。
 「強化費も落としたチームで厳しい戦いになることは必至だったので、浜口さんのキャリアを傷つけるのは申し訳ないと思い、声を掛けられなかった。浜口さんは水くさいと思ったかもしれない」

 −16年秋に始まったBリーグ初シーズン、1部で戦ったが最下位に終わった。
 「会場に足を運んでくれるブースターの前で負け続け、現場もつらかったと思う。1年や2年では追い付けない差を感じた」

 −今後は協会入りする。 「クラブ経営の経験者が協会で働くのは初めて。改革を進める上で、新しい風を吹き込むことを期待されているのではないか。これからも日本のバスケットボール発展のために貢献していきたい」


2018年06月27日水曜日


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