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<高校野球・東北勢大旗への挑戦>小兵軍団の快進撃 福島・磐城(1971年)

第53回全国高校野球選手権大会決勝で桐蔭学園(神奈川)に0−1で惜敗。試合後、マウンドの土をすくう磐城のエース田村隆寿投手/昭和46年8月16日/甲子園球場
先崎史雄さん

 東北勢は春の選抜大会を含めて計11度、全国大会の決勝に進出した。いずれも惜敗しているが、多くの人の記憶に残る熱戦だった。延長十八回引き分け再試合を戦った1969年夏の青森・三沢や、小兵軍団で決勝まで無失点で勝ち上がった71年夏の福島・磐城の戦いぶりは、今も高校野球ファンの語り草だ。選手らの証言を基に、大旗への挑戦をたどる。(スポーツ部・野仲敏勝)

◎7回唯一の失投に泣く

 ▽第53回大会決勝
磐  城 000000000=0
桐蔭学園 00000010×=1

   (磐)田村−野村
   (桐)大塚−土屋

 夏の第53回大会(1971年)、福島・磐城は勝ち上がるごとに、甲子園のスタンドを味方に付けた。「『このちっこい連中、よくやるわい』と思ってもらえたのだろう」。1番・遊撃だった先崎史雄(64)=須賀川市=は語る。

 平均身長169センチの小兵軍団。初戦の2回戦で優勝候補の日大一(東京)を1−0で破るなど、3戦連続無失点のまま決勝まで勝ち上がった。

 「小さな大投手」と呼ばれたエース田村隆寿の制球力と、堅い守備、緻密な分析が生きた。「ベンチには相手打者のスイングの癖など特徴を書いた模造紙を貼りだした」と先崎。日大一戦はOBの事前偵察でサインを見破り、二盗を2度阻止した。

 神奈川・桐蔭学園との決勝は0−0の七回、田村が打たれた。先崎は「捕手の構えたところにピッタピタといっていた中、唯一の失投」と言う。2死三塁、田村の落ちるシュートがすっぽ抜け、左中間への適時三塁打を浴びた。ニューボールが滑ったためだった。

 地元のいわき市ではその年の春、常磐炭礦(たんこう)の最大の鉱山が閉山した。敗れはしたが、ナインの活躍は落ち込む地域を勇気づけ、準優勝パレードに多くの市民が歓喜した。

 きびきびとした基本に忠実なプレー。激しい練習で培った野球スタイルは、コバルトブルーのユニホームとともに爽やかな印象を残した。先崎は「表彰後にダイヤモンドを一周するときは、涙を流すより、『3年間よくやったな』という感じだった」と懐かしむ。


2018年06月27日水曜日


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