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<高校野球・東北勢大旗への挑戦>仙台育英のエースたち 大越、古い東北人像壊す(1989年)

気持ちを表に出し、決勝のマウンドで全力投球する仙台育英高のエース大越
第71回全国高校野球選手権大会準々決勝、仙台育英―上宮(大阪) 8回裏上宮無死二塁、今大会屈指のスラッガー元木大介選手を空振り三振に仕留め、春の選抜大会の雪辱を果たした仙台育英・大越基投手/平成元年8月20日/甲子園球場【注】元年8月22日号外にも掲載
1989年夏の甲子園で準優勝した仙台育英の大越基さん=2018年5月、山口県下関市

 春の選抜大会を含めた甲子園大会で、光星学院(現八戸学院光星、青森)と並んで東北勢最多の3度の準優勝に輝いた仙台育英は個性的なエースが力投し、チームを引っ張った。1989年夏の気迫あふれる姿が印象的だった大越基(47)=元ダイエー、現山口・早鞆(はやとも)高監督=と、2001年春の頭脳的な投球が光った左腕芳賀崇(35)=現宮城・村田高監督=、チーム一丸となって戦った15年夏の佐藤世那(21)=現オリックス=。高校野球ファンの記憶に残る準優勝3投手にそれぞれの決勝を語ってもらった。(スポーツ部・野仲敏勝)

◎闘志むき出し延長10回投げ抜く

 ▽第71回大会決勝

帝  京 0000000002=2
仙台育英 0000000000=0
           (延長十回)
   (帝)吉岡−井村
   (仙)大越−佐藤

 「マウンドの自分を見て、生意気だと思った人も多いでしょうが、ユニホームを脱ぐと違うんですよ」

 89年夏の第71回大会決勝で投げた大越は、帝京(東京)と延長十回までもつれた投手戦をユーモア交じりに振り返る。

 闘志を前面に出し、「IKUEI」のユニホーム姿で力投する姿は、全国のファンの度肝を抜いた。決勝も帝京のエース吉岡雄二(後に巨人、近鉄を経て東北楽天)との投げ合いに注目が集まった。

 力をくれたのは、甲子園の大声援。一回の先頭打者にいきなり3ボール。4球目で初めてストライクが入ると、「ウォー」と地鳴りのような歓声が上がった。「4連投で股関節はがくがく。肘も痛かったが、あの歓声でよみがえった」

「安易にいった」

 延長十回、とうとう力尽きた。先頭打者に「安易にいった」と変化球を投げると中前ポテン安打にされ、四球と犠打で1死二、三塁。次打者に決勝の2点中前打を許した。

 「試合を巻き戻すと、あそこで気持ちを切り替えられなかったのが敗因」。九回裏の攻撃、味方が2死三塁のサヨナラ機を築いたものの、後続が一飛に倒れた。ネクストバッターズサークルの大越は肩を落とした。

 「『まだ終わらないのか』と、延長戦のマウンドに行ってしまった。周りの選手はよく守ってくれたのに、どうして自分がもっと頑張れなかったのか」。29年たった今の思いだ。

 決勝までの6試合を一人で投げ抜いた大越のエネルギーに満ちた姿は、全国の人の心を打った。「東北人を見てみろ、という思いはあった」と言う。

 竹田利秋監督(現国学院大総監督)は、甲子園の抽選会で東北のチームと対戦が決まると、相手チームから歓声が上がる風潮を悔しがり、「東北人の劣等感の払拭(ふっしょく)」を説いた。大越自身も「東北を歌った当時の演歌が暗かったことや、ズーズー弁をばかにされるのが嫌だった」。
「欲がなかった」

 大越は宮城県七ケ浜町出身。寮生活の高校時代は、転勤のため八戸市にいた両親の元に、特急はつかりで帰省していた。「カップ酒を手にした出稼ぎのおじさんたちの間に、学生服で座っていた」。東北人の自覚を強くし、同時に東北人像を変えたいと心に秘めた。

 89年春の選抜大会に出場し、準々決勝で元木大介(後に巨人)を擁する上宮(大阪)に2−5で敗れた悔しさもばねにした。学校に戻ると、防具代わりに水取りスポンジを付けた後輩を打席に立たせ、内角球を磨いた。「おかげで膝元の内角を完璧に投げられた」。夏の準々決勝で上宮と再戦し、10−2で雪辱した。

 それに比べ、決勝戦は「欲がなかった」。今年3月、帝京の前田三夫監督と再会したとき、はっとした言葉がある。「あの試合、仙台育英は優勝したいと強く思っていたか」。前田監督は決勝(選抜大会)で2度敗れており、仙台育英との3度目は必死だったという。「そういえば、ベンチでも鬼のような形相だった」

 今は、本気で優勝を目指して甲子園に乗り込む東北勢の姿が心強い。「自分たちの時代とは違う。仙台育英なら一番うれしいが、どこでもいい。東北勢に大旗を取ってほしい」と願っている。


2018年06月27日水曜日


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