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<浪江町長死去>巨大権力への怒りを再生の原動力に 妥協許さず

JR常磐線の浪江−小高間が再開し、出発の合図をする馬場町長(左)=2017年4月1日、福島県浪江町のJR浪江駅

 福島県浪江町の避難指示解除から1年3カ月。本格的な復興へと歩み出した古里の姿を見送るように、馬場有町長は逝った。東日本大震災と福島第1原発事故からの再生を率いた原動力は、国や東京電力という巨大な権力への強い怒りだった。
 あの日、町民は放射能の拡散予測を知らされず、高線量地区に避難を余儀なくされた。なぜ情報は隠され、無用な被ばくを強いられたか。2013年5月、東京都内で記者会見に臨んだ馬場さんは「町民が受けた精神的苦痛は計り知れない」と鬼気迫る表情で話し、東電に慰謝料の増額を求めてADRを申し立てた。
 町は面積の8割が帰還困難区域に指定されながら、原発は立地していない。双葉郡8町村の中で単独申し立てに踏み切ることには、庁内でも異論があった。二本松市に置いた仮役場の町長室では連日、担当職員とぶつかる声が漏れた。
 「単独で闘っても東電に一蹴される」「一度走りだしたら引くに引けなくなる」と制止する職員に対し、馬場さんは「町民の総意として必ず闘う。欲しいのは賠償金じゃなく東電の誠意だ」と譲らなかった。
 浪江が国や東電に厳しく迫るのを尻目に、双葉郡内の周辺自治体には廃炉研究施設などの誘致話が次々に持ち上がった。「浪江が明らかに冷遇されている」との認識が町民に広まったが、馬場さんは「誰かが闘わなければならない」と屈しなかった。
 3選を目指した15年11月の町長選は、町外のコミュニティー形成を掲げた他候補に対し、古里の再生を貫いた。既に体調を壊していたが、「町を残すのが私の使命だ。あと1期全うし、町を後進に託したい」と自らを奮い立たせた。
 17年1月から県内外10カ所で開いた住民懇談会は全て出席し、長期の避難生活を送る町民の不満や町政への批判を受け止めた。
 日に日に色濃くなる疲労をにじませながら「町民は戻れないもどかしさを感じている。私自身、なんでこんなことをやっているんだろう」と取材に苦悩をのぞかせる場面もあった。
 震災後、復興推進課長として馬場さんを支えた宮口勝美副町長は辞職願が同意された今月13日、福島市内の病院で最後の面会をした。
 痩せこけ、病床から「重責を終えてほっとする半面、やっぱり寂しいね」と漏らしたという馬場さん。宮口副町長は「町民の利益を一番に考え、妥協しない人だった」と声を詰まらせた。(報道部・桐生薫子、高橋一樹)


2018年06月28日木曜日


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