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<福島競馬場100周年 ターフと共に>(1)併走/地域一丸 運営に貢献

かつて仲間と走ったターフを見詰める木村さん
1923年の福島競馬場のパドック(日本中央競馬会提供)

 日本中央競馬会(JRA)の福島競馬場は28日、開場から丸100年を迎えた。福島市中心部近くに立地し、地元のにぎわいを創出。東日本大震災などの苦難を乗り越えてきた。手綱を緩めず、新たな周回へ。ターフと共に歩みを重ねてきた市民らを訪ねた。(福島総局・柴崎吉敬)

 すぐ西側に大動脈の国道4号、東側に阿武隈川が流れる。周囲にはマンションや住宅が立ち並び、市役所や赤十字病院、小中学校、高校も立地する。

 「競馬場のある風景が暮らしに染み込んでいる」。地元町内会の一つ、堀河町会会長の木村豊さん(66)の実感だ。

 会長に就いたのは8年前。春は職員との懇親会、夏は場内である花火大会に招待されるようになった。福島競馬場との関係はより深まったが、競馬場体験がさらに積み重なったといった方が適切かもしれない。

 土曜日も授業があった中学時代。校舎からはレースが見え、サラブレッドも生活道路を歩いて移動した。

 仲間と場内に忍び込んだこともある。競馬開催期間中の芝コースを走った。
 「この辺りの同年代の人たちは1回や2回、同じ経験をしているんじゃないか」。今から思えば寛容な時代だった。

 福島競馬場は市民との関わりが深い。JRA誕生前の国営競馬時代のさらに前、経営難だった静岡県の藤枝競馬倶楽部(くらぶ)を誘致したのが始まり。

 誘致は県内の財界人が中心となったが、競馬場建設のための土地造成では、329人の市民が事業を担う会社の株主となった。市民は競馬場と併走してきた。

 戦争による開催中止後の再開が競走馬の減少もあって遅れた時には、当時の福島市長が東京に出向き、関係者に出走への協力を呼び掛けた記録も残る。

 市史編さん室嘱託職員の柴田俊彰さん(68)は「地域一丸で誘致と開場にこぎつけ、運営を続けてきた。『みんなの競馬場』という意識がある」と言う。

 町内会長の木村さんも支える側に回ってきた。家業の建設会社は父の代から施設補修に関わってきた。

 サラリーマンを経て会社を継いだのは40年ほど前。1989年の厩舎(きゅうしゃ)一新は、地元企業が総掛かりになった。木村さんが納入した木材は現在も馬房の壁となっている。

 「市民は何かしらの形で競馬場と付き合いがある」と木村さん。ギャンブル施設という感覚が薄いどころか「競馬場はかけがえのない存在」と言い切る。
 もちろん、レースの思い出もある。90年代前半に活躍し、大逃げで知られたツインターボの豪快な走りが印象に残る。

 一番の思い出は、スピーディタイガーという馬が勝った83年7月の七夕賞(84年から重賞GV)。「負け続けた日の最後のレース。やっと単勝を当てることができたんだよな」

<福島競馬場>東北唯一の日本中央競馬会(JRA)の競馬場。1918年開場で、国営などを経て54年からJRA運営。1周は芝約1600メートル、ダート約1445メートルで右回り。スタンドを含む建物は地上6階、地下1階。直線が短い小回りのコースが特徴。開催は春、夏、秋の年3回。重賞レースはいずれもGVの福島牝馬ステークスや七夕賞、福島記念など。所在地は福島市松浪町。


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2018年06月29日金曜日


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