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<福島競馬場100周年 ターフと共に>(2)勝負服/レース支え風景彩る

河野テーラー3代目の正典さん。騎手の服を作る作業は真剣勝負だ
戦後間もない頃の河野テーラー周辺。前身は乗馬ズボン店だった

 日本中央競馬会(JRA)の福島競馬場は28日、開場から丸100年を迎えた。福島市中心部近くに立地し、地元のにぎわいを創出。東日本大震災などの苦難を乗り越えてきた。手綱を緩めず、新たな周回へ。ターフと共に歩みを重ねてきた市民らを訪ねた。(福島総局・柴崎吉敬)

 赤や青色の鮮やかな生地に迷いなく、はさみを入れる。緊張感が漂う。まるで真剣勝負だ。

 イメージするのはレースそのもの。「この服を着た騎手が勝つ姿を思い浮かべる」。勝負服を手掛ける福島市の河野テーラー社長の河野正典さん(46)は語る。

 叔父で先代の政平さん(故人)の言葉を心に刻んできた。
 勝負は鼻差で決まる。「気持ちの強い方が制する。馬には勝負服を作る職人の気持ちも乗り移る」。20歳前後の3年間騎乗した元騎手らしい表現だった。

 河野テーラーは福島競馬場の南側にある。創業は1924年。100周年を迎えた競馬場と共に歩んできた。日本中央競馬会(JRA)登録の勝負服の5割以上を製造する老舗だ。

 祖父正太郎さん(故人)が創業したのは「乗馬ズボン店」。乗馬用ズボンから始め、勝負服の注文が舞い込むようになった。ここに弟子入りし、正太郎さんの次女と結婚したのが2代目となる政平さんだった。

 3代目の正典さんはいったん旅行会社に就職。赴任した盛岡市で、地方競馬の岩手競馬関係者と食事を共にした。テーラーの名前を出すと「それなら知っている。継がないなんてもったいない」と言われた。
 手先が器用で職人気質の祖父の姿が脳裏に浮かぶ。家業の誇りと重みを痛感。進むべき道を意識した。

 競馬を支える醍醐味(だいごみ)は99年、はさみを持ち始めた年に知った。有馬記念(GI、中山競馬場)。手掛けた服を着た的場均騎手のグラスワンダーが優勝した。2着武豊騎手のスペシャルウィークとは鼻差。「こんなにうれしいのか」と仕事の魅力に取りつかれた。

 2代目の教えとは別にもう一つ。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経て大事なことが分かった。

 2011年は福島競馬場の開催が中止になり、注文が減る風評被害もあった。
 支えてくれたのは海外や地方の競馬関係者。新たな取引で縁ができた地方競馬の騎手からは「軽い方がいい」と切実な要望を聞き、メッシュの軽量タイプの新製品開発にもつながった。

 苦境を乗り越えて迎えた12年春。再開された福島競馬はこれまでと違った。
 「観客の笑顔と共に勝負服が競馬場の風景を彩っている。『勝つだけが醍醐味じゃないんだな』と、初めての感情が湧き上がった」

 福島競馬場があって勝負服があって自分がいる。場外からレースを支える正典さんは震災後、感謝の思いを込め、勝負服のタグに「FUKUSHIMA」と刺しゅうしている。

[勝負服]日本中央競馬会では馬主ごとに1人1着のみ登録し、騎手が騎乗する馬の所有者に合わせて着る。色使いは、緑や黒、茶、紫など13色から最大4色までを使える。柄は輪や星、ダイヤモンドなど17種から選ぶ。馬主は申請すれば何度でも変更可能。岩手競馬など地方競馬は馬主ではなく騎手ごとに登録する。


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2018年06月30日土曜日


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