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<福島競馬場100周年 ターフと共に>(3)響け蹄音/温泉街に再び熱気を

穴原温泉でおきな旅館を営む金子さん夫妻。おかみの悦子さんは競馬場との連携に期待する=福島市飯坂町
1949年の飯坂温泉の光景。夏の開催を立て看板で告知した(日本中央競馬会提供)

 日本中央競馬会(JRA)の福島競馬場は28日、開場から丸100年を迎えた。福島市中心部近くに立地し、地元のにぎわいを創出。東日本大震災などの苦難を乗り越えてきた。手綱を緩めず、新たな周回へ。ターフと共に歩みを重ねてきた市民らを訪ねた。(福島総局・柴崎吉敬)

 福島市を流れる摺上川沿いの温泉街。飯坂温泉のさらに上流に穴原温泉がある。おきな旅館のおかみ金子悦子さん(73)は福島競馬場との縁が深い。
 祖父は蹄鉄(ていてつ)師。競馬場を造成した地元企業の株を保有し合った市民の一人だ。
 父は獣医師。競走馬ではないが、馬も診察した。馬券は生涯にわたって買い続けた。
 夫で旅館の3代目、春則さん(73)も20歳から競馬場に通い続ける。「宿泊客と競馬の話で分かり合える」と言う大ファンだ。
 悦子さんは夫と共に競馬観戦の宿泊客を迎えている。「開催期間中に多くて10組ほどかな」と春則さん。悦子さんは「今は家族連れ。少額でゆったり。そんなスタイルで競馬を楽しんでいるよう」と語る。

 蹄音。「ていおん」「あしおと」などと読む。ひづめが生み出す経済効果は小さくない。
 飯坂温泉が競馬ファンで最もにぎわったのは1960年代前半という。旅館の一つ、なかむらや旅館のおかみ高橋武子さん(74)は熱気を鮮明に覚えている。
 「競馬に勝てば、芸者をあげて大宴会。『宵越しの金は持たない』って遊び方。飯坂も潤った」
 大型バスが近づくと、花火を打ち上げ、途中で待っていた番頭が乗り込み、おしぼりを渡して歓迎した。
 「腹巻きの内側に大金を忍ばせていたお客さんも。調教師さんらレースを終えた競馬関係者も夜の温泉街にあふれていた」
 確かに、元日本中央競馬会職員で福島市の清野海善(みよし)さん(73)も「寮がない頃はよく飯坂で飲んで泊まった」と証言する。
 その後、競馬ファンの宿泊需要は激減。東北新幹線開業(82年)など交通インフラの整備や景気動向に加え、インターネットによる馬券購入の流れも響いた。
 数百人いたという温泉街の芸者は現在、たったの2人に減っている。

 おきな旅館の悦子さんは現状に寂しさを感じる。
 温泉街と競馬場との連携企画はほとんどなくなった。旅館組合が売り出した福島競馬場の指定席付き宿泊パックは数年前に廃止されたままだ。
 年明け最初の重賞レース、中山、京都の両金杯(ともにGIII)に合わせた福島競馬場での、おかみたちによる鏡開きも行われなくなって久しい。
 「もう一度、結び付きを強めたい」と悦子さん。競馬場側に飯坂・穴原の両温泉を活用してもらうにはどうしたらいいか。「まずは私たちが、本気で連携したいと考えていると、アピールすることが必要ね」


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2018年07月01日日曜日


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