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戦前の東北振興政策の推移追跡、問題点訴える 仙台の歴史研究者が分析

国立公文書館の資料などを基に東北振興政策を分析した一戸さん

 戦前の東北振興政策の推移を、仙台市の歴史研究者一戸富士雄さん(87)が30年越しで分析した。凶作と恐慌の打撃を受けた東北の農村を救済するための国策会社が、戦時体制に組み込まれる過程を国立公文書館の文書などから跡付けた。国策の問題点が浮き彫りになっており、東北と近現代史の関わりについて教訓と示唆に富む内容だ。

 世界恐慌に伴う1930年の昭和恐慌、33年の昭和三陸津波や34年の凶作と、恐慌や災害が続いた東北で農民の離村や女子の身売りが相次いだ。一戸さんは背景に、地主制度が強固で貧農や小作農の窮乏が甚だしかったことを挙げる。
 対策を審議した「東北振興調査会」は二・二六事件(36年)などに伴い、東北振興総合計画を「広義国防ノ実ヲ挙グル」と位置付け、体制に迎合していく。東北の疲弊は強兵の供給源の崩壊につながるため、軍部も問題視した。
 国策会社「東北興業」は、「東北振興電力」の電力を利用して安い肥料を生産し、農民に供給する計画だった。だが、技術者もいない同社の事業は失敗。戦争の進展とともに、鉱山開発や航空機、船舶関連など軍需企業への投資や経営参加が中心となった。
 東北振興電力は阿武隈川水系の福島市に東北最大の蓬莱水力発電所を建設するなどして、予想より業績好調だったが、国の電力一元管理政策で41年に吸収合併された。
 一戸さんは、東北が「国内軍事基地化」した様子を描き、「あくまで資源政策として東北振興が位置付けられ、東北の窮乏民の救済は、その枠組みの中での従属的な課題でしかなかった」と指摘する。
 一戸さんのいとこは19歳で軍属に志願し、フィリピンで餓死した。軍の会計担当だった父は札幌市での研修中に終戦を迎えたが、所属部隊は北海道の千島列島で旧ソ連軍に接収され、シベリア抑留で犠牲になった同僚も多かったという。
 宮城学院中高教員だった一戸さんは1986年度の1年間、東大の短期研究員となり、本格的に東北振興史の研究を始めた。2013〜18年の仙台市歴史民俗資料館の調査報告書に、論文を連載した。
 一戸さんは「国と東北の農民の間に決定的なずれがあった。東北は内国植民地の役割を担わされた。地域に根差して日本全体を見ることが大切だ。東日本大震災も、被災者の視点に立たなければ本当の復興はない」と話す。
 連絡先は同資料館022(295)3956。

[東北振興調査会]岡田啓介内閣が1934年に設置。35年9月の中間答申に基づき、36年5月に「東北興業」「東北振興電力」の2社が創立され、配当に対する政府補償など優遇措置を受けた。1地域を対象にした国策会社は当時、北海道拓殖銀行のほか例がなかった。


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2018年07月02日月曜日


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