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<福島競馬場100周年 ターフと共に>(4)競走中止/震災越えて湧く歓声

復旧したスタンドで東日本大震災の発生当時の状況を説明する中沢さん
東日本大震災で被害を受けた競馬場5階のスタンド=2011年3月12日(日本中央競馬会提供)

 日本中央競馬会(JRA)の福島競馬場は6月28日、開場から丸100年を迎えた。福島市中心部近くに立地し、地元のにぎわいを創出。東日本大震災などの苦難を乗り越えてきた。手綱を緩めず、新たな周回へ。ターフと共に歩みを重ねてきた市民らを訪ねた。(福島総局・柴崎吉敬)

 福島市の中沢明夫さん(66)が地元の福島競馬場に赴任したのは、2011年3月2日だった。
 わずか9日後、東日本大震災が発生した。「とんでもないことになった」。競馬場の惨状にぼうぜんとするしかなかった。
 職員みんなで避難した馬場から見たスタンドは天井が崩壊。スプリンクラーが作動し、水が滝のように落ちていた。
 「開催日だったら…。きっと死者が出ていた」。今でもぞっとする。
 中沢さんは高校卒業後、日本中央競馬会に就職した。福島競馬場勤務は1991〜95年以来。肩書は幹部の調査役。「半年後の定年退職を古里で迎える」というのんびりした考えは一瞬で吹っ飛んだ。

 東京電力福島第1原発事故の影響も加わり、11年の開催は全て中止に。戦時下と終戦直後以来となる危機に直面した。
 競馬場はまず、住民支援を優先した。福島市と結んでいた防災協定に基づき、震災直後の1週間で約550人を受け入れた。騎手の宿泊用部屋や厩務(きゅうむ)員らの居室を提供した。
 5月末からは原発事故で全域避難となった福島県飯舘村の住民も身を寄せた。
 一部のファンからは「払い戻しだけでも再開しろ」と苦情が寄せられたが、対応は間違っていなかった。
 「ありがとう」「これから頑張ります」。厩務員の居室内のホワイトボードに書き残された市民らのメッセージがうれしくて、身に染みたという。

 「このままずっと、再開できないかもしれない」と職員の間には悲観的な雰囲気が漂った。しかし、中沢さんは「それほど心配していなかった」と振り返る。
 事実、再開へと競馬場は動きだす。除染のため6月に芝が剥ぎ取られ、9月にスタンドの復旧工事が始まり、耐震性も高めた。除染は厩舎(きゅうしゃ)も含めて徹底した。
 翌年4月7日、「春の福島競馬」の初日。競馬関係者やファンはもちろん、市民にとっても大切な一日となった。第1レースのファンファーレが鳴りやむと、歓声が湧き起こった。
 中沢さんは、その歓声を聞いていない。前年9月に定年を迎え、嘱託職員として競馬場地下で、払戻金の準備に当たっていた。それでも途中、スタンドをのぞくと、喜びが満ちていた。
 「やっぱり、馬が走ってなんぼ。再開まで時間はかかったけれど、少しは地域の力になれたかな。そう思いました」
 中沢さんは今、競馬ファンの一人として、毎週のように福島競馬場に通う。

[福島競馬場と福島市の防災協定]1996年締結。市の働き掛けで実現した。同じ日本中央競馬会の阪神競馬場(兵庫県)が95年の阪神大震災で避難所の役割を果たしたことを参考にした。災害時にはスタンドや馬場を避難所とし、市役所被災時は災害対策本部を場内に設置する。競馬場の地下などに備蓄用タンクがあり、最大200トンの飲料水を提供できる。


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2018年07月03日火曜日


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