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<放射能と闘う保育者たち 原町聖愛こども園の7年>(2)分断/外遊びの自由を制限

大きなマスクを着け鉄棒にぶら下がる子どもたち=2011年11月ごろ(原町聖愛こども園提供)

 東京電力福島第1原発事故が起きる前、原町聖愛こども園(南相馬市)の園児は、毎日近くの山を自由に伸び伸びと駆け回っていた。園が長年続けてきた「自然との触れ合いを中心に据えた保育」は事故で一変し、子どもたちは慣れ親しんだ自然から分断された。

<駄目駄目ばかり>
 「事故後は戸外で遊ぶことに大きな不安があった。外遊びを解禁してからも、虫や花に触って駄目、土の上に座って駄目と、駄目駄目とばかり言っていた」。遠藤美保子園長(66)は悔しがる。
 2011年度は、子どもたちを積極的には屋外に出さなかった。12、13年度は園庭での外遊びを30分、14年度は45分に制限した。
 どんなに暑くても長袖長ズボンで、顔には大きなマスクをかけ、肌をできるだけ出さないようにした。遊具に触れるときは、保育者がクエン酸溶液で念入りに拭いてから。屋内に入るときはブラシで全身のほこりを落とし、粘着テープを踏んで靴底もきれいにした。
 主幹保育教諭の高田公恵さん(57)は「先生たちは『集まって』が口癖になった。子どもの行動は予測がつかない。安全を守るため、園庭内とはいえ目が届かないところに行ってほしくなかった」と、当時の心境を語る。

<屋内の充実工夫>
 子どもたちは自由のない空間で、うろうろするだけ。何もできないまま、制限時間はあっという間に過ぎ去った。
 保育者は、代わりに屋内遊びを充実させることに腐心した。支援物資で送ってもらった枯れ葉で保育室をいっぱいにして、自由に遊ばせる。事故前に採って保存していたどんぐりや石など自然素材に、意識して触れさせる。「少しでも自然と切り離さないようにと試行錯誤した」と高田さん。
 他にもお絵かき、カード遊び、文字遊びと、これまでの保育にはなかった学習的な要素も取り入れた。工夫を重ねたが「先生が遊びをあてがう」(遠藤園長)保育をするしかなかった。

<園を去る職員も>
 事故後、職員は一気に入れ替わった。妊娠していたり幼い子どもがいたりした職員は、避難して園を離れ、そのまま戻ってこなかった。現在いる職員24人のうち、事故前からいる職員は遠藤園長、高田さん含めて9人に減った。
 今後どんな保育をしていくのか。何度も話し合ったが、元々いた職員と新しく来た職員との間には、微妙な温度差があった。「自然と遊ぶ良さは、体験して実感しないと分からない。保育者自身も事故によって自然と触れ合う経験を奪われ、長年培ってきた保育理念が途切れてしまった」。遠藤園長は言う。
 崩れた保育理念をまた積み上げていくには時間がかかる。7年が経過し、私生活も含めて目の前のことに必死だった職員の心にも少しずつ余裕が見られるようになった。
 「研修会などで学ぶ機会を地道につくっていくしかない」と遠藤園長。子どもたちの成長は待ってくれないのが、気掛かりだ。


2018年07月04日水曜日


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