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<仙台いやすこ歩き>(83)仙台牛/地元の恵み心込め調理

 かっと燃える太陽。その中を元気に自転車でやって来る画伯。だる〜いなんて言っていられない。そう、決して肉好きでない画伯が「今回は仙台牛だ!」と言ったのだから。
 待ち合わせたのは、青葉区上杉にある老舗「すき焼割烹(かっぽう) かとう」だ。割烹と聞くとなんか敷居が高くってと話す2人に「うちは敷居なんてないですよ、道路からそのまんま」と、笑いながら気さくに返す女将(おかみ)の加藤英子さん(71)に迎えられる。

 小上がりのテーブル席でお話を伺うことに。「仙台牛が誕生したのは昭和54年。ブランド牛としては後発で、松阪牛や山形牛に比べて知名度はまだまだ。でも、いい肉なんです」
 全国に多々あるブランド牛の中でも厳しい条件をクリアし、最高ランクに格付けされた宮城県黒毛和種だけに与えられる称号が、この「仙台牛」。
 ブランド牛としては後発だが、昔から農耕に使っていたから、牛を育ててきた歴史は長い。年に1度、生産者を訪ねる機会があって、加藤さんはそれに参加することで、まるで家族のように牛たちに愛情を注ぐ農家さんの様子を見てきた。「きれいに掃除したり、風通しを良くしたり、環境に気を配って、家族で旅行をすることも控えているのですよ」。牛も風邪をひくので、牛だけ置いては行けないとのこと。
 仙台牛の場合、生まれてから私たちの前に来るまで4年半近くかかるそう。宮城の米や稲わらを飼料に交ぜ込んで、ゆっくりと育てられる牛。ふと、先日、車で通った栗原市の丘陵でのんびりと草をはむ牛たちの姿が浮かんできた。
 「東京や大阪のすき焼き店では、生産地が離れているため、本日の牛肉は山形牛、明日は松阪牛と一定しないことがよくあります。その点、ここでは地元で生産されている仙台牛、仙台黒毛和牛で一定しています。それも誇りです」。生産地を訪ねるたびに「これは、心して売らなければ」と気持ちが引き締まると老舗の女将は話す。

 改めて、「すき焼割烹 かとう」の歴史を伺った。すき焼き店を始めたのは昭和30年頃。隣接のかとう精肉店は戦前の開業で、さらにその前は博労(ばくろう)(牛馬の仲買人)だったという、筋金入りの牛肉屋。女将がいろいろ詳しいのも納得だ。
 そんな女将の「仙台牛というと霜降りたっぷりのヒレやロースを想像されがちですが、丸ごと1頭が仙台牛。モモもすねもテールも全部です」という言葉に、「あっ、そうかぁ〜」とすっとんきょうな声を上げてしまう。
 ということで、お願いすることにしたのは、モモ肉を使って調理した「仙台牛ステーキ重」。目の前に供されたそれは、とろっとしたたれの下からほどよく焼けた仙台牛が見えて、美しい。口に入れれば、軟らかくってまろやか。かめば、うま味がジュワーっ。焼いた時に出る肉汁を加えたたれがまたおいしく、肉と絡んでぱくぱくが止まらない。隣では、画伯が「私が、こんなにお肉を食べられるなんて」と感激しっぱなし。
 大切に育てられ、心を込めて調理された地元の恵みをいただけるぜいたくさ。感謝だ!

◎古墳時代牛の飼育始まる

 牛の祖先は、約50万年前に現れたオーロックスで、旧石器時代の人々はこれを狩ってじか火であぶって食べていたといわれる。有名なフランスのラスコー洞窟の壁画に多く描かれたものもオーロックス。このオーロックスが、8000年前の新石器時代に家畜化され、生まれたのが牛である。
 日本でも古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀初め)から牛の飼育が始まったと見られ、675年の天武天皇の肉食禁止令まで食べられていた。再び食べるようになったのが明治以降。日本で最初の牛鍋(すき焼き)店が横浜に開業したのが、今から140年ほど前。ステーキを食べるようになったのは戦後のことだ。
 近年、肉ブームと言われる中、日本の1人当たり年間消費量は増え、世界で22位。また、日本の牛肉の質の高さは世界的にも評価されている。
 ちなみに宮城県は畜産県で、県内の肉牛頭数は8万1000頭で、飼育している農家数は全国4位。小規模で大切に育てられているのも特徴だ。

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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2018年07月09日月曜日


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