広域のニュース

<東北の本棚>生き残った宿命に苦悩

◎ひとり白虎 植松三十里 著

 白虎隊の悲劇で知られる会津の戊辰戦争、自刃した隊士の中で1人生き残ったのが飯沼貞吉だ。その後、貞吉は敵方の長州藩(山口県)の役人にかくまわれ、やがて通信技師となる。しかし、死に切れなかった宿命にもがき苦しむ。波乱の生涯を、感動の歴史小説に仕上げた。
 貞吉は飯盛山で自刃した少年たちと一緒に喉を突いたが死にきれず、父親と一緒に江戸に送られる。捕虜受取人が長州藩士・楢崎頼三だった。藩校時代の貞吉は学問も武芸も成績が良く、楢崎はその才を見込んで「国元の長州で預かりたい」と父親に申し出る。「死に損ないと後ろ指をさされ続けるなら、誰も知らない土地へ行け」が父親の言葉だった。
 長州で庇護(ひご)されるが、村人に「おまえは戦争に負けて、拾ってもらったんだってな」と揶揄(やゆ)され、自殺を図る。「なぜ自分だけが生き残ったのか」。貞吉は自らを責め続けた。
 長州を去り、旧幕臣の子弟を中心とした静岡学問所、沼津兵学校(静岡県)へと転々とする。精神の彷徨(ほうこう)は続く。沼津兵学校を作った旧幕府の陸軍副総裁・藤沢次謙から「美しいのは死ではなく、生き残ったつらさを乗り越える力だ」との言葉を受ける。しかしその兵学校も閉鎖される。藤沢のアドバイスで、今度は東京で工部省の通信技師の訓練所に入り、技術者の道を歩む。一人で仕事ができる通信の仕事は、周囲の人間関係に煩わされる心配がなかった。
 下関、広島と各地を転勤した。出張などで会津に行く機会はあったが、「死んだ仲間に顔向けできない」と、ためらいは続く。恩人に促され、帰郷したのはあれから二十数年後、飯盛山で仲間の白虎隊の墓に墓参する姿を描いたシーンは、読む者にさえ涙を誘う。
 著者は1954年生まれ。静岡市出身の歴史作家。なお、貞吉は晩年を仙台市で過ごしており、墓は青葉区北山の輪王寺にある。
 集英社03(3230)6393=648円。


関連ページ: 広域 社会 東北の本棚

2018年07月08日日曜日


先頭に戻る