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<芥川賞候補「美しい顔」>自身の内面理解のために震災が舞台設定に使われただけ/被災者の手記編集 金菱教授に聞く

「慟哭の記録」など震災関連の編著書を前に語る金菱教授

 北条裕子さんが「美しい顔」の参考文献に挙げた5冊のうちの1冊は、東北学院大の金菱清教授(社会学)が編者となり71人の被災者の手記を集めた「3.11慟哭(どうこく)の記録」(新曜社)だ。金菱教授に一連の騒動をどうみるか聞いた。
(生活文化部・阿曽恵)

◎「3.11慟哭(どうこく)の記録」編集 東北学院大・金菱清教授

 「被災地に一度も行ったことがない」との言葉にまず違和感を覚えた。自分にとって重要な作品であれば直接被災地を見たくなりそうなもの。むしろ行かずに想像力で書いたことが一種の売りになっている。
 参考文献について北条さんは「単行本が出るときに付ければいいと思っていた」と釈明するが、個人的には小説に参考文献を明記する必要はないと考える。小説を書くとは、さまざまな文献を読み込み、自分の中で消化、沈潜させ、改めて自分の言葉で昇華させることであり、文献の痕跡を消したものが作品であるはずだからだ。参考文献を載せない小説は珍しくない。
 類似は十数カ所あり、学生がネットで拾った情報を切り貼りしてリポートを書くのと同じレベルの流用だった。研究者が論文でやれば懲戒処分となるケースだが、文学作品なら許されるとの認識は理解できない。
 震災小説は誰がどんな立場で書いてもいい。ただし震災に対する理解や倫理が問われることがある。いまだ社会との接点を作れず、言葉に出せないままの被災者に向けてどんな言葉を届けるのか。僕も毎年、言葉を紡いで本を出版しているが、本当に怖い。こんな言葉を選んでいいのかと常に薄氷を踏む思いでいる。
 見えてきたのは、被災地の外では震災が過ぎ去った昔になりつつあること。この小説では自身の内面理解のために震災が舞台設定に使われただけ。7年前の記憶で止まっている外部の読者には新鮮に映ったのだろう。震災は過去ではなく生々しい現実だ。被災者がますます沈黙する現状が気になる。そうした逆転現象を象徴的に表している。


2018年07月18日水曜日


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