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<奥羽の義 戊辰150年>(13)会津救済へ垣根越え結集

東北諸藩によって同盟が締結された白石城。あくまで会津侵攻を迫る新政府と拒絶する同盟諸藩との対立は、重大局面を迎える。白石の地はこの後、薩長との戦いの「司令部」となった(9秒露光で撮影した写真930枚を合成)
「大義を天下に述べるを目的とし、小節細行に拘泥しない」などと書かれた奥羽列藩同盟の盟約書の写し(仙台市博物館蔵)

◎第2部 悩める大藩仙台/列藩同盟成立

 1868(慶応4)年閏(うるう)4月11日、緑濃い白石城に奥羽14藩の代表が次々と到着した。招いたのは仙台、米沢両藩。会津藩救済へ、奥羽の総意として鎮撫(ちんぶ)総督府に「寛大之御沙汰(さた)」を嘆願するためだった。
 仙台藩首席奉行の但木土佐が一同に嘆願書の内容や、仙台、米沢両藩主の意見書も添えて提出することを説明した。異論は出ず、各代表の署名は円滑に行われた。
 米沢藩主上杉斉憲は1500の兵を率いて赴いた。「嘆願を断ればどうなるか、分かるだろう」。さしもの総督府も拒否できまいという無言の圧力だった。しかし−。
 新政府は武力討伐にこだわった。
 翌12日、斉憲と仙台藩伊達慶邦の藩主2人は岩沼に九条道孝総督を訪ね、嘆願書を提出。渋々受け取った九条は「(薩長出身の)参謀らは納得しないだろう」と述べた。
 5日後。嘆願は却下され、総督府は改めて会津追討を厳命した。平和を願う諸藩の努力は一蹴され、両藩主の面目もつぶされた。「薩長と戦争になりそうだ」。奥羽各藩は早馬を飛ばし、戦支度に入った。
 5月3日、仙台で11藩を加えた25藩による同盟が結ばれた。6日までに長岡など北越6藩も参加し、ここに計31藩による「奥羽越列藩同盟」が成立した。同盟外の会津、庄内両藩を加えると総石高は約260万の一大勢力。白石城には各藩代表者が合議する公議府が置かれ、同地は一躍奥羽の中心地となった。
 宮城県大和町の郷土史家千葉茂さん(63)は、列藩同盟結成に至る動きを「当時の藩は今でいう国と同じ。横断的連携など、それまであり得なかった」と説明。「垣根を越えて藩のリーダーが交流、活動する『トランスナショナル』を実現した」と意義を語る。
 会津救済のために結集した平和同盟は嘆願却下により、新政府と戦う軍事同盟へと変質した。こうして奥羽全体が戦火に巻き込まれていく。(文・酒井原雄平/写真・岩野一英)

[白石城]1591年に蒲生氏が築城したのが始まり。上杉領となった後、伊達政宗が攻略し、1602年に重臣片倉小十郎に与えた。以来、260年余にわたり片倉家の居城となった。江戸幕府が一国一城令を出した後も、仙台藩は特例として仙台城と白石城の2城が許された。戊辰戦争後の1874年に取り壊されたが、地元の要望を受け、市が1995年に28億円を投じて天守閣や大手門を復元した。全国的に数少ない木造による復元が特徴。天守閣に上れる。入館料は一般400円、小中高校生200円。


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2018年07月22日日曜日


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