宮城のニュース

<高校野球 100回を語る>(上)西日本との差埋まる 国学院大総監督・竹田利秋さん

[たけだ・としあき]1941年和歌山市生まれ。国学院大を卒業後、銀行勤務を経て、65年に宮城・東北のコーチとなり、68年から監督。85年夏を終えて東北の監督を辞任し、直後から95年まで仙台育英の監督。甲子園には春夏27度出場し、歴代15位の30勝(27敗)。国学院大監督を経て現職。

 全国高校野球選手権は5日、100回大会が幕を開ける。東北勢は第1回大会の秋田中の準優勝以来、多くの選手や指導者の努力で、悲願の優勝旗に肉薄してきた。東北の高校野球発展に携わった2人に、節目の大会開催に当たっての思いを聞いた。(聞き手は野仲敏勝)

◎東北と仙台育英の監督を歴任

<運も必要>
 −東北勢の優勝はあるか。
 「近年、力は付けてきた。いつ優勝してもおかしくない。勢い、運も必要になる。100回大会で実現すれば、それはすごいこと」
 −東北勢の指導者としては歴代1位の甲子園通算30勝(27敗)を挙げた。
 「私の時代は甲子園で戦えるチームづくりが目標だった。雪のため、グラウンド練習ができるのは、西日本の12カ月に対して約7カ月。そのハンディを補って中身の濃い練習で対抗しようと取り組んだ」
 −強化した部分は。
 「従来のパワーに加え、守備や走塁、投球、バットスイングなどのスピードアップと、安打1本で1点を取れる攻撃の緻密さ」
 「今は全国的にさらにパワフルになった。投手は150キロ台の球を投げ、打者のバットスイングは速くなっている。大阪桐蔭などの選手の体はムキムキだ」
 −1969年夏に青森・三沢、71年夏に福島・磐城が準優勝した。
 「あの二つの準優勝は大きな意味を持つ。特に磐城には私自身が(東北の監督として)71年夏の東北予選で対戦して敗れ、衝撃を受けた。前日練習で須永憲史監督が守備練習でがんがんと鍛えていた。選手の方もひるまない。あれだけやれば甲子園の決勝までいくと思い知らされた。今でも忘れない光景だ」
 −仙台育英で89年夏に大越基投手(元ダイエー、現山口・早鞆高監督)を擁して準優勝した。
 「私が日本一を目指したのは、あの年と岡嶋敏彦投手らがいた東北を率いて春に4強入りした72年だけ。私自身の反省点だが、日本一への意識が弱かった。優勝するには毎年、意識していないといけなかった」

<人間教育>
 −近年の東北勢の力をどう見るか。
 「東北は名投手を数多く生んでいるが、内野の名手は少なかった。ぱっと思い浮かぶのはロッテなどで活躍した小坂誠(宮城・柴田高出)くらい。雪の影響でフットワークやグラブさばきがもうひとつ上手じゃないと思った。今は暖冬や室内練習場の普及、少年野球のレベルアップでその差はなくなっている」
 −西日本に対する意識の変革も説いた。
 「初めて甲子園に出場した68年夏の抽選会で、東北・北海道勢と対戦が決まると、西日本のチームから勝ったと言わんばかりの歓声が上がるのが衝撃だった。こちらの選手は下を向いてしゅんとしている。変えないといけないと思った」
 「今はメディアの発達で言葉のなまりもあまりなく、東京、大阪に行っても物おじしない。高速道路が発達し、関東などの強豪校と練習試合も盛んだ。東北人の引っ込み思案が取り払われ、野球にもいい影響があると思う」
 −今後の高校野球に期待することは。
 「根幹は人間教育。それは変えてはならない。そして基本は郷土愛。中学生が学校や監督に憧れて野球留学するのはいいが、過度な勧誘は慎むべきだ」


2018年08月04日土曜日


先頭に戻る