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<仙台七夕まつり>地域のシンボル永遠に 飾り製作の老舗6代目鳴海さん、事業譲渡や震災乗り越え

子どもたちが手掛けた折り鶴を眺め、七夕の未来に思いをはせる鳴海さん=6日午後1時ごろ、仙台市青葉区

 平成最後の仙台七夕まつりが6日始まった。鳴海屋紙商事(仙台市)は手作りの飾りが減る中で多くの製作を請け負い、祭りを支えつつ新たな伝統も生み出してきた。事業譲渡と東日本大震災を乗り越えて迎えた節目。鳴海屋6代目の鳴海幸一郎さん(50)は「どんな形でも七夕を残す」と決意を新たにする。

 6日朝、前夜からの雨が上がると飾り付けの要請が続々と舞い込む。鳴海さんはスタッフと共に市中心部を走り回る。「一度でいいから純粋に見る側に回ってみたいよ」と汗を拭った。
 鳴海屋は1883年創業。昭和初期から和紙や障子紙を扱った。七夕まつりが近づくと地元の商店関係者らに飾り用の和紙を販売。作り方も指導した。
 街中にビルが建ち、商店から飾り製作を請け負うように。昭和の終わりには材料販売なども含め、全体の約3分の2に関与するようになっていた。
 1993年に社長を継いだ鳴海さんは先代からの負債に苦しんだ。2009年になって業界大手の国際紙パルプ商事(東京)への営業権売却、子会社化を断行した。「親会社は文化の重みを理解し、七夕事業と『鳴海屋』の3文字を残してくれた」と感謝する。
 忘れられない出来事がある。震災があった11年の6月。「市内の小中学生らで鶴を折り、全国に感謝を伝えたい」と校長会などから相談を受けた。
 鳴海さんらは混乱が続く中で材料を手配し、各校で指導。同年8月6日、折り鶴8万8000羽が初めてアーケードを彩った。これが復興祈願の飾りの原点となった。
 「伝統に伝説が加わった。地域が災害から立ち上がる時、祭りは心のよりどころになる」。飾りは新たなシンボルとして続き、今年で8年目を迎えた。
 街並みとともに七夕まつりも様変わりしたが、伝統復活の動きも芽生えている。鳴海屋が飾り製作を教えた仙台市東二番丁小は、10年で立派な作品を仕上げるようになった。東北大も自前の飾りを手掛けている。
 「子どもたちが伝統を継ぎ、仙台の全学校が作った飾りが街を彩る。そんな光景を見たい」。復興祈願の折り鶴を見上げ、鳴海さんが仙台七夕の未来を描いた。


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2018年08月07日火曜日


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