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戦災・震災を語り継ぐ 宮城の主婦、手作り紙芝居で若い世代へ事実伝える

手作りの紙芝居で仙台空襲を伝える百束さん=仙台市戦災復興記念館

 太平洋戦争と東日本大震災の二つの災禍を、宮城県富谷市の主婦百束(ひゃくそく)たき子さん(75)が手作りの紙芝居で語り継いでいる。「戦争を知らない世代が増え、震災後に生まれた子どもたちもいる。紙芝居には広く共感を呼び起こし、事実を伝える力がある」と思いを託す。
 <焼けて見通しの良くなったがれきの街を、(略)人が黒く焼け、嫌な臭いが漂う道を、つまずきながら急いだ。(略)「僕は独りぼっちになってしまったのだろうか…」>
 仙台市青葉区の市戦災復興記念館で7月にあった戦災復興展の開幕式。百束さんは仙台空襲を題材とし、2012年に完成させた紙芝居「願いを七夕に」を上演した。空襲で母を失った少年の物語を通し、戦争の悲惨さを訴えた。
 30代の頃、武蔵野美術短大の通信教育で絵画を学んだ。紙芝居の読み聞かせサークルを経て、15年ほど前に創作活動を始めた。
 民話や秋保電鉄など地元の素材に取り組むうちに、戦争に行き着いた。これまで仙台空襲のほか「ぼくたちの学童集団疎開」「ああ…満州仙台村」を制作。水彩絵の具の上に色鉛筆を重ねて細部まで丁寧に描き、1作品に1年を費やす。
 東松島市出身で、戦争と震災には個人的な感傷が刻まれている。戦時中、船長だった父は東南アジアのボルネオで亡くなった。爆撃に遭ったのか、病死したのか分からない。棺には造花だけが入っていたという。
 11年の震災で、母は懸命に働いて建てた同市の自宅を津波で失い、仮設住宅暮らしの15年に97歳で他界した。「戦争で父を失った母は戦後、本当に苦労した。震災がなかったら、せめて自宅で最期を迎えられたのに」と思いをはせる。
 津波で被災した若林区荒浜を舞台にした「ふるさとがきえた」は13年、荒浜の元住民らに取材した力作だ。紙芝居は通常の倍以上ある28枚にも及ぶ。
 現在は月4回、地元の老人ホームなどで紙芝居のボランティアに励む。戦災や震災をテーマにした上演依頼はあまりないが、年に数回は学童保育の場で子どもたちに作品を披露する。
 百束さんは「戦争は人災。震災でも『自分は大丈夫』と思い込み、逃げ遅れた人がいた。どちらも人間の心の部分が大きい。これからも教訓を伝えたい」と決意を新たにする。


2018年08月10日金曜日


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