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<東北甲子園物語>バッテリー間、墓も18m

毛利さんの墓(手前)と、石川さんと毛利さんの長男が手を合わせる石川さんの墓=11日、広済寺

 1948(昭和23)年夏の甲子園大会に出場した宮城・石巻のバッテリー、投手の毛利光雄さん(2002年に死去、享年73歳)と捕手の石川喜一郎さん(1990年に死去、享年60歳)は生家近くの広済寺(宮城県石巻市住吉町)に眠る。2人の墓の間はマウンドと本塁の距離(約18.44メートル)とほぼ一致する。
 「あの世に行ってもキャッチボールをする相手がいないのはかわいそう。和尚さんがそう考えて、何カ所か空いていた区画のうち、お墓を建てる場所を決めてくれた」
 そう話すのは、毛利さんの長男光治さん(58)と、石川さんの長男泰光さん(61)=ともに石巻市=だ。
 毛利さんは右のスリークオーターの名投手。制球力と球の切れの良さで、石巻を初の甲子園に導いた。石川さんは4番を担った強肩強打の捕手。主将を務め、甲子園で選手宣誓を行ったことでも知られる。
 2人は住吉小から幼なじみで、広済寺の境内は遊び場所だった。大人になった後も、石巻野球協会の会長を石川さん、副会長を毛利さんが務めるなど、名コンビだった。
 2人が亡くなった時に弔ったのは、2人の幼なじみで甲子園にも中堅手として一緒に出場した広済寺の住職、済渡(さいと)恵啓さん(2015年に死去、享年85歳)。石川さんの墓を基準に毛利さんの墓の位置を決めた。「石屋さんと相談し、『このぐらいだろう』と決めたようだが、後から測った人によると、ほぼ18.44メートルだった」。済渡さんの長女で、現住職の西村恵郁さん(54)は言う。
 バッテリーが眠る墓地は住吉小の校庭に隣接し、野球に興じる子どもの声が聞こえる。甲子園出場時の監督だった毛利さんの父、理惣治さん(1965年に死去、享年68歳)の墓も2人の墓から少し離れた同じ境内に建っている。


2018年08月15日水曜日


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