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<再訪Miyagi1951>(1)名掛丁(仙台)駅前の顔にぎわい不変

仙台市中心部の名掛丁と東五番丁の交差点=1951年(バトラーさん撮影)
仙台市中心部の名掛丁はアーケード街となり、現在は大型量販店も建つ

 1枚の写真が、薄れかけた人々の記憶を鮮やかにする。ウェブサイト「Miyagi 1951」には、米軍医だったジョージ・バトラーさん(故人)が戦後復興期に撮りためた県内の情景が収められている。写真を手に、往時を懐かしむ人たちと面影をたどった。
(報道部・上村千春)

 着物姿の女性と少女が手をつなぎ、商店街を歩く。
 バトラーさんが1951年に仙台市内で撮影したのは、旧国鉄仙台駅西口の名掛丁と東五番丁がぶつかる地点。現在は愛宕上杉通(青葉区中央1丁目)の歩道とみられる。戦災復興の区画整理で東五番丁は拡幅され、かつてあった日吉丁を取り込んで北へ延びた。
 この写真を入手し、2015年に仙台で公開したNPO法人20世紀アーカイブ仙台の佐藤正実さん(54)は「名掛丁は駅前の顔。市民の思い入れが強く、さまざまな情報が寄せられた」と話す。
 撮影場所の特定に難航した佐藤さんだが、往時を知る人たちとの会話は弾んだという。その一人、名掛丁で今も衣料店を営む門谷巌孟(いわたけ)さん(88)は「大陸からの引き揚げ者が衣類や食品のマーケットを出してにぎわっていた」と証言する。
 仙台空襲で焦土化した仙台駅前。大正時代から自宅が名掛丁で呉服店を営んでいた岩崎一夫(いちお)さん(80)は明かす。「焼け跡は、名掛丁から仙台市役所まで見渡せた」
 51年当時、市民は手を携え、復興に向かっていた。岩崎さんは「写真の中の横断幕に『名掛丁連合大売出し』とある。これは商店街が当時から団結していた証しだ」と強調する。


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2018年08月17日金曜日


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