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<再訪Miyagi1951>(2)松島 土産店や旅館 景観統一

米軍の車が並び、観光客が行き交う松島町松島=1951年(バトラーさん撮影)
観光客でにぎわう現在の松島

 遊覧船が発着する松島町の観光桟橋付近から、1951年に米軍医だったジョージ・バトラーさん(故人)がシャッターを押した。
 国道沿いに並ぶ土産物店、食堂、旅館…。現在は改装中の「観月楼」などの日本家屋、今は無き旅館の「白鴎(おう)楼」や「松島城」も写る。松島海岸中央商店会長の佐々木繁さん(70)は「店の軒先がきれいにそろっている」と感心する。
 写真右端の白看板の食堂「尾張屋」で生まれ育ち、同じ建物で今は土産物店を営む大宮司道子さん(81)によると、明治末期か大正期の区画整理で国道沿いの景観が統一された。「どの家も間口を6間(11メートル)にしなければならず、うちは家屋を切った」と話す。
 松島パークホテル(69年焼失)や旅館は、進駐軍が接収して宿舎に利用し、多くの米兵の姿があった。食堂を経営していた本村嘉璋(よしあき)さん(82)は「上官は旧国鉄仙石線松島海岸駅から1両だけの専用列車に乗り、苦竹(仙台市)に通っていた」と思い出す。
 ウェブサイト「Miyagi 1951」には、松島パークホテルの完全な姿、中央広場にあった井戸、瑞巌寺境内などの別カットも収められている。瑞巌寺宝物課長の新野一浩さん(53)は「昔の松島を伝える貴重な資料だ」と、じっくり見つめた。


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2018年08月18日土曜日


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