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<金足農準V>たくましさ再び 歴史動かす

金足農―大阪桐蔭 3回表金足農1死三塁、佐々木大夢の右犠飛で生還し、笑顔を見せる三走斎藤(左から2人目)。左は次打者吉田=甲子園

 今年の春季高校野球秋田県大会の開幕を控えた5月中旬、金足農の最寄り駅のJR奥羽線追分駅を電車で訪ねた。古里秋田に赴任して1カ月半。雑草軍団と称される金足農野球部の「今」に無性に触れたくなったからだ。
 駅前の商店入り口に号外風の壁新聞が張ってあった。春季県大会を展望し金足農が優勝に最も近いと占う大見出しを、ほほ笑ましい思いで眺めた。
 それから3カ月。壁新聞の見立ては当たっていたどころの話ではなかった。甲子園で快進撃を続け、一気に決勝まで登り詰めた。
 金足農が雑草軍団と呼ばれて久しい。呼び名が全国に知れ渡ったのは1984年。初出場の夏の甲子園で準決勝に進み、PL学園(大阪)を相手に八回表まで勝っていた。桑田真澄選手に逆転本塁打を許して敗れたが、あと一歩まで追い詰めた。
 「こいつら、すっげえなあ」と、同じ秋田の高校3年生だった私の心に深く刻まれた。雑草に宿るたくましさを34年前に目の当たりにしたことは、私の人生の中で大切な意味を持ち続けてきた。
 5月の春季県大会は準決勝の金足農−明桜戦を見に行った。会場の八橋球場に入るのはたぶん18歳の夏以来だ。長い時を経て親の視線になったのか、スタンドに陣取る両校選手の父母がまず目に留まった。
 金足農の父母が着ていた紫色のシャツの背中に白で「雑草軍団」の4文字があった。今も呼び名が健在だったことがうれしかった。
 人生は小さなことの積み重ねが大事だと感じる。夏の甲子園で秋田県勢は2010年まで13年連続初戦敗退と苦しんだが、復活を期して精進する精神は脈々と息づいていた。再び歴史を動かした雑草軍団の獅子奮迅の活躍は、その証しにほかならない。(秋田総局長・松田博英)


2018年08月22日水曜日


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