宮城のニュース

<丸森・3寺院巡り>擬死再生の勤行継承

岩岳山頂の絶壁から身を差し出し、誓いを立てる覗きの行
勤行を終え、清滝を出立する大江住職(中央)ら

 古来、民間の厚い信仰を集めた修験道。明治期に政府が廃止令を出し全国的に衰退したが、県南の丸森町は、今も3カ所の修験寺が残る「修験の里」として知られる。山伏が先達を務め同町で行う「峰入り修行」に同行するなどして、厳しくも奥深い修験の世界を垣間見た。
(角田支局・会田正宣)

◎みやぎ路 修験の息づく里(上)愛敬院

 丸森町筆甫の岩岳山頂の絶壁から身を差し出すと、約400メートル下に見える内川まで真っ逆さまに吸い込まれそうになる。
 「不動様を大切にするか」「親孝行するか」−。山伏の問いかけに、「はい」とうなずくほかない。
 同町の修験寺「愛敬院」が、清滝など所々で勤行しながら行う峰入り修行のハイライト「覗(のぞ)(除)きの行」だ。
 5月27日にあった峰入り修行に同行した。12回目の参加という仙台市泉区の無職白鳥英雄さん(71)は「1年無事に過ごせたことを感謝し、健康を祈った。山の霊気に触れるとリフレッシュする」と語った。
 修験は飛鳥時代、役小角( えんのおづの )が創始したとされる。奈良−平安時代、山岳信仰が仏教や道教などの影響を受けて発展した神仏混交の宗教だ。
 「擬死再生」を掲げ、山で一度死んで心の塵(ちり)や汚れを落とし、山を見立てた母胎をくぐり出山(出産)する。病気を治す祈りや困りごと相談など、修験は現世的な利益を伴い、庶民にとって身近だった。
 明治初期の修験道廃止令により、修験寺は宗旨変えしたり、帰農したりした。愛敬院も一時途絶えたが、大江善光住職(60)の祖父が1953年、再興した。30年前ほどから、一般に門戸を開いて峰入り修行を行っている。
 大江住職は「先祖は『地域に密着した修験を守りたい』との意識が強かったのだろう。山でだけでなく、日常生活に生かすのが修行で、幅広い人に参加してもらいたい」と話す。
 「自分を見詰め、明日に向かう力をいただいた」。4回目の参加となった相馬市の会社員松浦礼子さん(55)は、晴れやかな表情を見せた。昨夏に転職し、悩みやストレスを抱えていたという。
 東日本大震災の津波で、相馬市内に住む親族や同級生、元同僚らが犠牲になった。海沿いに行くと今も心が痛むという松浦さんは「犠牲者の冥福と復興を祈りたい」と静かに手を合わせた。
 愛敬院の修行も、東京電力福島第1原発事故の影響を受けた。行場だった伊達市の霊山で、放射線量が高くなったため2年間休止した。岩岳に場所を移し2013年に再開した経緯があり、霊山への帰還を待つ。

[愛敬院(あいきょういん)]約1100年前、慈覚大師が霊山寺(伊達市)の鬼門に位置する丸森町不動の現在地に不動堂を祭ったのが起源とされる。5月末に行う峰入り修行のほか、5月上旬〜中旬の「ヒメシャガまつり」などを開催する。連絡先は0224(72)6003。


関連ページ: 宮城 社会

2018年08月27日月曜日


先頭に戻る