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<丸森・3寺院巡り>祈りと風習 地域培う

願い事を書いた護摩木を火にくべ、護摩供を行う武田住職
原発事故前に火渡りが行われていた幻想的な火祭り(丸森町教委提供)

 古来、民間の厚い信仰を集めた修験道。明治期に政府が廃止令を出し全国的に衰退したが、宮城県南の丸森町は、今も3カ所の修験寺が残る「修験の里」として知られる。山伏が先達を務め同町で行う「峰入り修行」に同行するなどして、厳しくも奥深い修験の世界を垣間見た。(角田支局・会田正宣)

◎みやぎ路 修験の息づく里(下)光明院

 全身と口、心の「身口意」を香で清める「塗香(ずこう)」を行い、護摩堂に列席する。武田宗岳住職(70)が、家内安全などの願い事が記された護摩木を護摩の火にくべていく。ろうそくと電球の薄明かりの中で燃え立つ火が神秘的だ。
 丸森町大内の修験寺「光明院」で7月28日にあった「柱源(はしらもと)護摩供」。秘法の祈とうを受けようと、福島県からも信者が訪れた。武田住職は「護摩は陰陽がまじわり、誕生から死に至る擬死再生の過程を現す。修験独特の火」と説明した。
 安産祈願の「六三除け」、建築の安全を祈る「地祭り」。大内地区では光明院が関わる行事が少なくない。町内3カ所の修験寺の中でも、とりわけ地域との結び付きが強い。
 光明院を支える地域団体「松沢山保勝会」の事務局を務める鈴木悦郎さん(70)は「大内には大きな檀家寺がなく、光明院がよりどころ。住民は何かあると、(住職である)法印さまに祈とうや相談に行く。修験が暮らしの中に生きている」と語る。

 「取り子」という習わしがある。体が弱い子どもを光明院の門前に置き、法印さまが神様の子として取り上げることで、たくましく生きられるという風習だ。
 大内地区の阿部大治さん(80)は遊んでいて首を傷めたり、腹痛を起こしたりして7歳のときに取り子になった。阿部さんは「神様に助けてもらった。23年前に心臓手術をして、『いつまで生きられるか』と思ったが、まだまだ元気だ」と笑顔を見せる。

 地域と歩んできた光明院。東京電力福島第1原発事故の影響で「松沢山の火祭り」の火渡りが中断に追い込まれた。
 火渡りは4月末、境内の杉の木を燃やした灰の上を渡り、汚れを清めて罪を滅ぼす儀式。だが、焼却灰の放射性物質濃度が高く、事故後は実施できていない。武田住職は「戦争中も父が火を絶やさなかったのに。残念だが、参拝客を被ばくさせるわけにはいかない」と苦渋の表情を浮かべる。
 「中断が長引けば、地域との結び付きが薄れてしまうのではないか」。住民は懸念を抱く。
 原発事故から7年、再開への期待は高まる。
 「火渡りを知らない子が増えている。来年は再開したい」と武田住職は意欲を見せる。長男の恭典副住職(30)も「住民が培ってきた伝統と思いを後世に引き継ぎたい」と前を向く。

[光明院(こうみょういん)]淳和天皇の勅願で826年、慈覚大師が薬師如来を祭って開山したとされる。護摩を毎月28日の不動様の縁日に行う。丸森町大内砂田152。0224(79)2515。


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2018年08月29日水曜日


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