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<震災体験100年後に>仙台市職員の挑戦(上)残す 詳細に回想リアルな教訓

山田さん(右端)の体験に耳を傾ける柳谷さん(左から2人目)。テーブルに並ぶレコーダーが証言を記録する=7月20日、仙台市役所

 仙台市職員の自主勉強会「Team Sendai(チーム仙台)」が、東日本大震災の対応に当たった市職員の体験を聞き取り、記録する活動を続けている。「災害エスノグラフィー調査」と呼ばれる手法で、公式の記録誌には載りにくい当時の苦悩や失敗、知恵などを後世に残す。体験記を活用したユニークな教訓伝承にも取り組む。100年後を見据えた市職員有志の挑戦を追った。(報道部・長谷美龍蔵)

<「問わず語り」>
 「地震が起きたときは、ちょうど市議会の真っ最中でした」。あの日を振り返る口調は淡々としていた。
 7月中旬、市役所3階の会議室。元市職員の山田文雄さん(65)がチーム仙台の聞き取りに応じた。震災直後は若林区長として災害対応を陣頭指揮し、後に復興事業局長も務めた。
 音声レコーダーとビデオカメラが回り、山田さんの述懐を記録する。聞き手はほとんど口を挟まず、話にうなずきながら黙々とメモを取る。「問わず語り」の形式。この日、山田さんの回想は3時間にも及んだ。
 語られた体験は全て文字に起こす。事実関係を時系列に整理し、省略された言葉を補う程度の編集は加える。冊子にまとめて国立国会図書館に寄贈し、永久保存する。
 冊子は一人一人の体験記にすぎないが、チーム仙台震災記録チーム代表の柳谷理紗さん(33)は「生きた教訓が詰まっている」と語る。
 例に挙げるのは避難所の衛生対策だ。
 ある保健師の体験記によれば、開設時に土足禁止にしなかった避難所では、後から「靴を脱いで」と呼び掛けても遅かったという。「たかが土足禁止に1カ月近くもかかった。最初が肝心」との教訓を残した。
 一方、市が発行した厚さ3.5センチある震災記録誌には「土足禁止にした」という結果だけが記載され、そこに至るまでの失敗や試行錯誤は触れられていない。
 事実やデータの羅列が中心の記録誌に比べ、体験記は詳細でリアリティーがあり、当時の状況をイメージしやすい。柳谷さんは「記録誌は必要だが、限界もある。体験記をしっかり後世に残したい」と強調する。

<まだ数足りず>
 チーム仙台は2010年9月に発足した。半年後に震災が発生。久しぶりにメンバーが集まった11年11月、互いの震災体験を語り合って「次の災害に生かせる話が結構ある」と感じたことが活動の発端となった。
 とはいえ、災害体験の記録など未知の世界。そこで参考にしたのが、一部の研究者の間で実践されていた災害エスノグラフィー調査だった。文献を取り寄せ、ノウハウを会得した。
 12年1月、6人のメンバーで始めた活動は17年度に東北大、常葉(とこは)大(静岡県)との共同研究に発展し、18年度には仙台市が自治体として加わった。これまで聞き取りした市職員は約30人。震災に関する一通りの体験記を残すには、まだまだ数が足りない。
 「思いを共有できる仲間を増やしながら地道に活動を続けたい」と柳谷さん。次の災害では、震災の教訓を生かして行動できる職員になろうと決めている。

[災害エスノグラフィー調査]災害現場に居合わせた人、災害に関わった人への体験の聞き取りを通じ、その目に映った災害像を明らかにして記録する手法。質問項目は設けず、時系列に沿って何を体験し、どう感じたかなどを一方的に語ってもらう。災害時には何が起きるのか、居合わせなかった人が追体験し、教訓を共有することが目的。1995年の阪神・淡路大震災以降、一部の研究者が実践してきた。


2018年08月30日木曜日


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