秋田のニュース

<甲子園準V 金農飛躍の源泉>(下)支え/共に歩んだ地元「誇り」

全国の頂点に迫った金足農ナインへの思いを筆で記し、店のガラス戸に掲げた藤原さん=24日、秋田市金足追分

 第100回全国高校野球選手権大会で、雑草軍団と称される金足農(秋田)が、秋田県勢として103年ぶりに甲子園の決勝に臨んだ。長い低迷期を乗り越え、復活を強く印象付けた選手たち。関係機関が一体となった強化策、独自の練習による鍛錬、努力を見守る地域社会の温かなまなざしが背景にある。飛躍の源泉を解き明かす。
(秋田総局・鈴木俊平、佐藤駿伍)

<受け継ぐDNA>
 秋田市最北部にあるJR奥羽線追分駅を出て、線路沿いに徒歩10分。全国高校野球選手権大会で準優勝した金足農高が見えてくる。校門の右手にグラウンドが広がり、バックネットの土台に野球部の代名詞「雑草軍団」の4文字が刻まれている。
 地元出身者だけでチームをつくり、雑草のようにたくましく、粘り強い戦いで強豪を倒す−。夏の甲子園初出場で準決勝まで進んだ1984年、呼び名は全国に知れ渡った。
 それから34年。歴代ナインが受け継いできたDNAを象徴する4文字にも年季が入っている。

<新聞自作し応援>
 追分駅周辺の商店は長年、野球に打ち込む生徒たちを温かく見守ってきた。
 「祝準優勝」「激闘感謝」「雑草軍団」
 決勝戦から数日後、追分駅の改札を出ると、駅前のクリーニング店のガラス戸に偉業をたたえる大きな張り紙が見えた。「筆を握る手に思わず力が入った」。店主の藤原正三さん(66)が顔をほころばせた。
 「金足農とは運命共同体」と言う藤原さん。父親が営む商店に、パンや菓子を買いに選手らが連日立ち寄った。チームの遠征日には「汽車に駆け込む姿を激励の言葉とともに見送るのが日常だった」と懐かしむ。
 80年代に入り、甲子園出場を後押ししようと商店主らを集め応援団を結成。学生時代に打ち込んだ柔道着を身に着け、声援の音頭を取った。毎年、夏の秋田県大会前には選手や学校関係者に意気込みを取材し、自作の新聞を地域に配って応援の輪を広げてきた。
 この夏は秋田と甲子園を往復し、決勝まで全試合に駆け付けた。「試合を重ねるたびに選手はたくましくなった。自分の応援が少しでも力になったのならうれしい」と喜びをかみしめる。

<新たな1ページ>
 「地元出身者が中心のナインは、いつの時代もおらが街の誇りだった」。甲子園の準決勝でPL学園(大阪)に敗れた34年前の夏、商店会関係者ら約300人の応援団の中にいた畑沢稔さん(83)が回顧する。
 金農OBの商店会長として野球部関係者と縁が深く、県大会や甲子園に何度も足を運んだ。今大会は商店会で作った応援手拭いを生徒や住民に託し、テレビの前で声援を送った。
 後輩たちは見事に秋田県勢として1世紀ぶりに決勝進出を果たした。畑沢さんは「選手の努力を見守ってきた地元住民として、これほどうれしいことはない」と目頭を押さえた。
 大切にするアルバムには34年前の甲子園で躍動する選手や声を張り上げる商店主らを収めた写真が挟んである。擦り切れて色あせた一枚一枚が、雑草軍団と共に歩んできた証しだ。
 先輩たちのベスト4を超え、全国制覇に手が届きかけた今年の夏。「新しい写真を加えられる日が来るなんて思いもしなかった」。畑沢さんが空白だったアルバムのページを見詰めた。


2018年08月30日木曜日


先頭に戻る