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年貢をコメから砂金に変更 金の産地だった歴史ひもとく史料、岩手・大槌の民家から見つかる

古文書を発見した佐々木さん(左)と内容を読み解いた花石さん

 岩手県大槌町金沢(かねざわ)の和牛繁殖業佐々木義男さん(64)方から、藩制時代に盛岡藩が当時の金沢村に年貢を砂金で納めるよう命じる古文書が見つかった。専門家は「古来、金の産地だった地域の歴史をひもとく貴重な史料」と指摘している。
 発見された「金目高証文(きんもくだかしょうもん)」は、1781年に盛岡藩から大槌代官に宛てた文書の写し。幕府が命じた河川土木工事などで財政難に陥った藩が金沢村に30両の「御礼金」(臨時税)を課し、併せて年貢の納付手段を砂金に変更した記録だ。
 一般的に年貢はコメで納めるが、一部に金や銭で代替する「金目納」もあった。山間部に位置する金沢村は金を産出する一方で田畑が少なく、年貢として納めるコメを購入するのに苦労していた。
 金沢村に割り当てられた年貢高は約百五十一石。証文には「年貢米百石は砂金百五十匁(もんめ)」「砂金一匁は銭千文」とコメを砂金に置き換える目安も記されていた。
 後の大槌代官が書いた「大槌録」にも金沢村の御礼金や金目納に関する記載があり、証文の記述と符号する。解読と検証に当たった大槌町の郷土史家花石公夫さん(81)は「金目納に改められた経緯などが詳しく分かり、興味深い」と語る。
 証文は、1998年に亡くなった佐々木さんの父兵十郎さんが大切に保管していた。大槌町史などで紹介されているが、正確な内容は伝わっていなかった。佐々木さんは「幕府や盛岡藩と金沢村の関係が分かり、驚いた。家宝にしたい」と話す。


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2018年09月03日月曜日


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