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<加藤久氏殿堂入り>地道にこつこつ「基本練習が財産」 長年日本サッカー界支える

サッカー人生を振り返り「基本練習も質の高さが大切」と持論を語る加藤さん=6日、東京都内

 日本サッカー殿堂入りした加藤久さん(62)=宮城県利府町出身=は日本代表の主将として活躍し、現役引退後はV川崎(現東京V)、湘南、京都の監督を務めた。東日本大震災の被災地支援にも携わり、長年にわたって日本サッカー界を支えてきた。

<一人で黙々練習>
 個人練習に明け暮れた塩釜一中、仙台二高時代がサッカー人生の原点だ。自宅の天井にぶら下げたボールでひたすらヘディングを繰り返す。「一人で練習することは苦にならなかった。基本となる反復練習を大事にしたのが後に財産になった」と語る。
 早大卒業後に日本リーグの読売クラブでプレーしつつ、早大の教員を務めた。二足のわらじは15年ほど続く。チーム練習に参加できなくても、時間を見つけて一人黙々と体を動かす反復練習が多忙な競技生活を支えた。
 日本代表では守備の要を担った。「特別な技術があるわけではない。止めて蹴る。基本がどれだけ高いレベルでできるか」。1993年のJリーグ開幕を迎えても「サッカーに懸ける姿勢はプロでもアマでも変わらない」。激動の時代を過ごしても、基本動作に忠実な考えは揺るがなかった。

<「環境がプロ化」>
 その年の5月15日、横浜Mとの開幕戦。V川崎の先発メンバーとしてピッチに立った。東京・国立競技場に詰め掛けた6万の観衆を前に「試合を見てくれる人の数がアマチュアとは違う。選手を取り巻く環境がプロ化した」と述懐する。
 現役引退の前年には日本協会(JFA)強化委員会副委員長も任された。「今なら認められない。当時だからできた。特別なことを経験でき、恵まれていた」と周囲の理解に感謝する。

<「橋渡し役」担う>
 京都の監督を退いた翌年、東日本大震災が発生した。個人のつてを頼って宮城を中心とした被災地へ赴き、2011年10月からはJFA特任コーチとして東北の子どもたちを指導した。その時のつながりを今でも生かし、支援したい側と被災地との「橋渡し役」を担う。
 「僕は特別なことはできない。そこで暮らす人たちと同じ気持ちでもいられない。だったら、何かあった時に、隣にいよう」。地道にこつこつ。昔も今も生きざまは変わらない。(剣持雄治)

 加藤久(かとう・ひさし)1956年生まれ。仙台二高卒業後、早大へ進学。大学3年の77年から日本代表に選ばれ、国際Aマッチ61試合6得点。84〜87年は主将を務めた。読売クラブなどを経て、94年に現役を引退。2011年10月から1年間、被災地の子どもを巡回指導するJFA特任コーチを務めた。


2018年09月11日火曜日


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