広域のニュース

<震災7年半>私の復興・幸せのかたち その後(上)

街のにぎわいに復興への手応えをかみしめる高橋さん
仮設店舗の前で、震災の伝承と復興への歩みをかみしめる米沢さん
高校時代の活動を振り返り、社会人となった現在の思いを語る佐藤さん

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から7年半。2015年9月に連載を開始した「私の復興」は丸3年となり、これまでに計37人を紹介した。それぞれが感じる復興度は前に進んでいるか。あらためて6人に受け止めを尋ねた。

◎希望と感謝着実に前へ 宮城県女川町・かまぼこ屋「高政」社長・高橋正樹さん(43)

 有名建築家が手掛けたJR女川駅舎や周辺の観光・商業施設を、家族連れが今日も楽しそうに散策している。7年目に入った女川町の復興計画は順調に進んでおり、復興度は3年前から大幅増の87.5%とした。
 震災で町は建物の8割と人口の1割を失い、自分も祖父と同級生を亡くした。絶望に押しつぶされそうな状況で、父をはじめ町商工会の長老たちは、復興計画をわれわれ若手に委ねた。
 経験も人脈もなかったが「こうありたい」という希望だけはあった。犠牲になった人々や支援者への感謝につながると思い、集客や販路拡大イベントなどさまざま企画を練った。
 今年4月に父から正式に家業を受け継いだ。良くも悪くも、女川は漁業一本のシンプルなビジネスモデルの町。魚を捕り、かまぼこに加工し、売る。その一つ一つが復興への確かな足跡になると信じている。

◎津波の怖さ語り続ける 陸前高田市・包装資材販売業・米沢祐一さん(53)

 陸前高田市のかさ上げした中心市街地に19年3月、包装資材販売「米沢商会」の店舗を再建する予定。人口減などで不安は大きいが、それ以上に「頑張ろう」という気持ちだ。
 被災した店舗ビルで語り部を続けている。話すことで亡くなった人や生活を鮮明に思い出せる。震災時に小学生だった学生の訪問が増えてきた。事実をそのまま伝えているが、「どうしたら相手の印象に残るか」をより考えるようになった。
 7月に参加した市民講座で、広島市の高校生が原爆体験者から聞いた話を基にリアルな絵を描く活動を知った。ただ話すのではなく、気持ちをしっかり伝えることが大切だと学んだ。
 津波で両親と弟を亡くし、復興度が100%になることはない。それでも、長女(7)が大きくなって津波の怖さをきちんと理解し、孫にも伝われば復興を感じられるのかなと思う。

◎食品通じて人を笑顔に 仙台市青葉区・会社員・佐藤亜記さん(18)

 宮城農高を今春卒業し、仙台市内の食品メーカーに就職した。高校時代は、津波に遭った旧校舎の桜の植樹などに奮闘。被災者に桜湯を振る舞う活動を通して「食で人を笑顔にできる仕事に就きたい」と考え、新たな一歩を踏み出した。
 かまぼこ作りを先輩から学ぶ。被災地での経験が糧になった一方、「今もつらい思いをしている人は多いだろう」と感じる。復興の受け止め方は難しい。支援活動が自己満足になっていなかったか、自問する。
 市内の自宅に被害はなく、訪れた被災地はごく一部だ。入社後、職場の工場は震災の揺れで大きな被害を受けたと知った。まだ自分が知らない影響の大きさを、あらためて痛感する。
 できることは何か、思案し続けている。まずは多くの人においしい商品を届けたい。震災について、自分の目で見て考えることも忘れずにいたいと思う。


2018年09月11日火曜日


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