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<震災7年半>実れ 復興の綿花(上)生産者/前例なき栽培に挑む

綿花の枝を間引きする松岡さん。実が育つには9月の手入れも欠かせないという

 綿花栽培などを通じ、東日本大震災の被災農家を支援する「東北コットンプロジェクト」が順調に実を結んでいる。宮城県内の綿花畑で安定した生産量を確保し、商品化への道筋も見えてきた。試行錯誤する生産者、支えるボランティアや商品開発に知恵を絞るアパレルメーカー。8年目を迎えた復興への思いを追う。
(小牛田支局・山並太郎)

<丘陵地整える>
 5月に植えた苗は今夏の猛暑に助けられ、大人の膝上まで育った。「9月の長雨は少し余計。注意しないと水分が多くなってうまく実がはじけない」
 約60アールの綿花畑を持つ東松島市の「赤坂農園」。担当する松岡孝記さん(39)=大崎市田尻=が青く膨らんだ実をなでる。11月の収穫に向け準備作業が進んでいる。
 赤坂農園が栽培に着手したのは2013年。丘陵地を開いて綿花畑を整えた。「内陸から復興を手伝いたい」。松岡さんの義父赤坂芳則代表(68)=宮城県美里町=が11年、プロジェクトの呼び掛けに応えたのがきっかけだった。
 農園は果樹が中心だった。綿花用の耕作地は用意できても、肝心のノウハウはない。国内には綿花の栽培事例も見当たらなかった。
 初めて携わった際は、水管理が不十分で一部の実が腐った。虫の被害を抑えようにも専用の農薬がない。16年から本格的に担当した松岡さんは頭を悩ませた。

<「経験生きた」>
 答えは、農家に生まれ、培ってきた技術にあった。間引きだ。余分な枝や葉を除去し、横に広がった枝に3〜4個の実が付くよう工夫すると生育が安定した。
「勘と経験が生きた。使える農薬も分かり、栽培法が見えてきた」。昨季の収量は220キロ。今季は350キロを見込んでいる。
 松岡さん自身は津波被害に遭っていないが、13年に結婚した妻奈美さん(39)は震災時、東松島市野蒜の保育園に勤めていた。園児らと逃げた野蒜小体育館に津波が押し寄せ、2日間外部との連絡が絶たれる経験をした。震災の悲劇を知る妻も、松岡さんの挑戦を後押ししてくれている。

<塩害地域でも>
 綿花は塩害に強いとされる。その特性を生かし、津波に見舞われた耕作地でも栽培が進む。
 名取市下増田の農業生産法人「耕谷アグリサービス」(佐藤克行代表)は、当時の耕作地約70アールの9割が濁流に沈んだ。
 「農業再開は5年後くらいかな」。園芸主任の佐々木和也さん(32)=仙台市若林区=は震災直後、田畑を覆った船やがれきに息をのんだ。
 12年に綿花担当となった。独学で知った環境条件は「乾燥」と「熱帯」。水田を利用した約70アールの綿花畑は水が入りやすい。そもそも寒冷地で育つのだろうか。不安は尽きなかった。
 転機は15年に訪れた。植栽前の苗の生育が鍵だと分かった。「苗の段階でハウスでじっくり温度と水の管理をする。大きく育って『これだ』と確信した」
 16年には安定生産の目安とされる10アール当たり100キロの収穫を達成した。栽培法は「企業秘密です」。佐々木さんは「まだまだ勉強中」と笑いつつ、着実な前進に手応えを感じている。
 各地で手探りで進む綿花栽培。震災復興に懸けた農家の情熱と信念が、産地形成の礎となる。

[メモ] 「東北コットンプロジェクト」は被災農地の再生と雇用創出が目的。全国農業協同組合連合会(JA全農)と大正紡績(大阪府)、飲食店経営クルック(東京都)の発案で2011年7月に正式発足した。75社(今年8月末現在)が参加する。仙台、名取、東松島各市の営農団体が計160アール作付けし、昨年は11年の13倍となる1.3トンを収穫した。国内の綿花自給率は0%で、宮城県は唯一の生産地となる。


2018年09月12日水曜日


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