広域のニュース

<震災7年半>私の復興・幸せのかたち その後(下)

患者の孤立がなお続く現状を訴える萩原さん
福島県広野町に施設を再建した寺島さん
綾女さん(左)と共に震災から現在までを振り返る理恵さん

 障害や病気を抱える東日本大震災の被災者らは、今も多くの困難に直面する。社会の無理解、防災や支援体制の課題。一つ一つ解決しなければ、それぞれの復興度は高まらないと訴える。連載の締めくくりに合わせ、被災地の未来に託す願いを聞いた。

◎患者らの孤立 なお深刻/仙台市太白区・日本てんかん協会宮城県支部事務局長・萩原せつ子さん(68)

 被災したてんかん患者らの孤立はなお深刻だ。「災害公営住宅に入ったが、病気を周囲に知られるのが怖い」「就職内定を取り消された」。患者家族として支部で活動し、震災直後から電話相談を担当。切実な訴えは現在も続く。
 患者は国内で100万人以上。適切な治療を受ければ多くの人が発作のない生活を送ることができる。出前講座などで理解は広がりつつあるが、偏見や差別は根強い。2017年7月時点から見た復興度の進み具合は、3ポイント程度だろうか。
 震災時、発作で病気が明らかになるのを恐れ、避難所に行けない患者がいた。支援体制拡充を行政に求め続けているが、対応は途上だ。東北で再び震災が起きた場合、同じ状況に陥らないとは言い切れない。
 「患者が安心して生きられる社会になることが本当の復興」。長い道のりを感じている。

◎支援に感謝 経験伝える/福島県広野町・知的障害者施設「光洋愛成園」施設長・寺島利文さん(65)

 福島県広野町で2016年5月、事業を再開した。東京電力福島第1原発事故による避難指示で同県富岡町の施設から利用者と避難して5年目。同県三春町、群馬県高崎市での仮住まいの日々がやっと終わった。
 震災直後、付近の体育館には避難できなかった。健常者の理解を得るのは難しいと考え、別の場所を探し続けた。原発から離れた地域で施設再建を求める意見もあったが、「富岡と同じ双葉の海が見える広野にした。みんなの古里だから」
 一時15人に減った職員は54人になり、利用者も66人から84人に。今でも職員不足だが、取材を受けた15年12月時点より、20ポイントは前に進んだ感じがしている。
 職員、利用者と震災に向き合った日々をずっとノートに記録している。「社会の無理解に戸惑う一方、多くの人に助けられた大切な記憶」。貴重な経験を伝え続けていくつもりだ。

◎防災意識の低下を懸念/石巻市・重い障害のある子どもと被災・新田理恵さん(48)

 仮設住宅のバリアフリー化や、災害弱者の視点に立った避難対策を行政に訴えてきた。「多くの支援者と出会えた一方、防災面で後退した部分もある」。感じる復興の度合いは、17年2月時点から横ばいだ。
 次女綾女さん(20)は全介助が必要で避難生活は困難の連続だったが、ボランティアらの支援で自宅を再建。関係者との交流は今も続き、高校卒業後の綾女さんが多くの人と触れ合える貴重な場となっている。
 懸念するのは防災意識の低下だ。津波直後は近隣住民と津波避難ビルのスロープ設置を市に求めるなどしたが年々、防災について話す機会は減っている。
 新住民が増え、つながりは薄れた。「あんな津波は来ない」と思ってしまう自分もいる。一人では避難できない娘が安心して暮らすために、あの日の教訓に立ち返らなければと思う。


2018年09月12日水曜日


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