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<震災7年半>未来をひらく教師になる 仙台大の三島さん、石巻・旧大川小を訪問 曽祖父が校歌作詞

曽祖父ゆかりの旧大川小で、只野さんの説明を聞く三島さん(左)

 東日本大震災から7年半。津波で児童と教職員計84人が犠牲となった石巻市の旧大川小に、教師を目指す一人の女性の姿があった。仙台大1年の三島汐里(しおり)さん(19)=宮城県利府町=。3月に閉校した大川小の校歌「未来をひらく」を作詞した曽祖父ゆかりの地で、未来の教え子たちの命を守る決意を新たにした。

 三島さんは11日、祖父富田文信さん(72)=仙台市青葉区=に伴われて初めて大川小の被災校舎を訪れた。「自分に受け止められるか不安だった。想像を絶する場所だった」
 三島さんの曽祖父、富田さんの父である故富田博さん(2014年死去)は小学校教諭を長く勤め、童話や民話の普及といった児童文化活動に尽力。1985年の大川小開校に際し、校歌の作詞を手掛けた。
 かわいがってくれた曽祖父の背中を追い、三島さんの夢はいつしか教師に。中学の体育教諭を志して、今春大学に進んだ。「いつか来たかった」。曽祖父のお気に入りだった大川小のモダンな円形校舎は、2階まで津波にのまれ傷だらけだった。
 偶然居合わせた児童遺族の只野英昭さん(47)が校内を案内してくれた。津波の水圧で盛り上がった床、2階天井に残る波の痕、止まった時計。「自分だったらどうするか…」。三島さんは真剣に説明を聞いた。
 只野さんは大川小3年だった長女未捺(みな)さん=当時(9)=を亡くした。震災当日、児童と教職員は津波襲来直前まで約50分間、校庭で待機し続けたとされる。津波にのまれながら奇跡的に助かった長男哲也さんは三島さんと同い年だ。
 只野さんは「先生の一部は裏山に避難したかったけど、強く言えなかった。上司や先輩の顔色をうかがうんじゃなく、『山に逃げる』と強く言える勇気を持ってほしい」と話した。大川小に全国から数多く訪れる「教師の卵」たちに、一番伝えたいことだ。
 「すごく大事なことを教えてもらった。子どもの命を預かる上でどうすべきか、現場でじかに感じることができた。教師を目指す気持ちが一層強くなった」。曽祖父が「未来をひらく」とうたった大川小から、三島さんは夢に踏み出す。


2018年09月13日木曜日


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