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<阿武隈川物語>(12)相次ぐ水害との闘い

五間堀川の水を阿武隈川に排水する岩沼市押分の水門と排水機場
86年の8.5豪雨で浸水した岩沼市内。手前が阿武隈川(東北地方整備局提供)

◎第3部 治水(1)地理特性

 洪水を繰り返してきた暴れ川、阿武隈川流域の人々の暮らしは水害との闘いの連続だった。連綿と続く治水の営みをたどるとともに、西日本豪雨など多発する災害への備えについて考える。(角田支局・会田正宣)

<冠水の常襲地帯>
 「一帯が水浸しだった。父親たちがトロッコにシャベルで土を入れ、もっこを担ぎ、切れた堤防の修復に当たった」。阿武隈川沿いの岩沼市南長谷原地区の造園業鈴木嘉四郎さん(85)が、1941年7月の洪水の記憶をたどってくれた。
 原地区は冠水の常襲地帯だった。流域で戦後最大の水害となった86年の「8.5豪雨」では一時孤立した。8.5豪雨後、町内会長に就いた鈴木さんは自衛消防隊を創設した。当初はリヤカーにポンプを積んで排水作業をした。
 阿武隈川が蛇行し、低地が広がる岩沼。松本秀明東北学院大教授(64)=地形学=によると、市内に旧河道や、本流からあふれ出た「溢(いつ)流」の痕跡が確認できる。溢流には1600〜1500年前と推定され、約2キロに及ぶものもある。

<狭窄部が交互に>
 河道の変遷を物語るのが、岩沼市吹上地区だ。阿武隈川を名取郡と亘理郡の境界にした古来、宮城県亘理町逢隈地区に属した。江戸時代後期の阿武隈川絵図では、吹上は今の川筋と、市街地寄りの川の中州だった。外周の川が砂の堆積などで埋まり、戦後に岩沼に編入された。
 岩沼の治水は99年度、国による五間堀川の改修が完成して、落着した。94年の「9.22豪雨」を受けた改修は、五間堀川から阿武隈川まで約650メートルの分水路を整備。接続地点の押分に阿武隈川に排水するための水門と排水機場を設け、市街地の内水被害を防いでいる。鈴木さんも「今は水を心配しないですむ」と笑顔を見せた。
 大きく蛇行する下流域に対し、中流域は、盆地と川幅が狭まる狭窄(きょうさく)部が交互に存在する。狭窄部の手前は水がたまり、氾濫が広がりやすい。
 狭窄部は花こう岩帯が多い。地下でマグマが冷えて鉱物が結晶化した花こう岩は、雨で浸食されると、結晶が流れ込む。花こう岩帯での豪雨災害の典型が2014年の広島市の土石流だ。松本教授は「土砂を巻き込んだ重たい水は、生活空間に侵入すると破壊力が大きい」と指摘する。
 仙台管区気象台によると、年間降水量に有意な変化はないが、1日50ミリ以上の大雨が降った年間日数は、仙台で100年で2.4日、白河で50年で1.2日の割合で増えている。
 鹿野義明防災気象官(56)は「極端な雨が降る現象は増加傾向にある。阿武隈川など大河川は、山地から地下に浸透するなどして、水が集まるのにタイムラグがある。雨がやんでも水位が上昇することがあり、自治体の避難情報に従ってほしい」と呼び掛ける。

[阿武隈川流域の主な洪水]国の水害統計によると、流域13市18町8村では、1941年7月の洪水で死傷者69人、全半壊208戸、浸水3万4290戸。86年の「8.5豪雨」は死傷者4人、全半壊111戸、浸水2万105戸。98年の「8.27豪雨」は死傷者20人、全半壊69戸、浸水3590戸。


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2018年10月02日火曜日


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