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<秋田戊辰戦争150年>仙台藩士の無念思う「賊軍」6人の墓を守る寺、宮城の子孫ら感謝し墓参

仙台藩士6人の墓に手を合わせる中村住職
寺の過去帳には「國見村戦争ニテ討死 当寺ヘ相葬ル」との記載がある

 秋田戊辰戦争で戦死した仙台藩士6人が大仙市板見内(いたみない)の霊仙寺に眠っている。寺は賊軍とみなされた6人を手厚く葬り、墓を1世紀半守ってきた。宮城県に住む子孫らは、寺に感謝しながら墓参を続ける。
 高さ約1メートルの墓は参道の傍らにある。刻字は薄れているが「仙臺藩」とあり、佐藤円太夫、佐々木文左衛門、高橋建治、菅野千代治、阿部勝之進、三浦養作と6人の名が彫られている。
 6人は佐沼(登米市)を治めた伊達氏一族の佐沼亘理家の家臣だった。秋田戊辰戦争の当時は20〜40代で、奥羽越列藩同盟を離脱した秋田藩(久保田藩)内に攻め込んだ。
 1868年旧暦8月23日、寺から北東約5キロの大仙市太田町国見の街道沿いで「国見の戦い」が起こった。六郷(秋田県美郷町)から北上した同盟軍と、角館(仙北市)から南下した新政府軍が激突。戦いで佐藤ら6人は亡くなり、同盟軍も退却を余儀なくされた。
 同盟軍は新政府軍から賊軍の汚名を着せられていたが、当時の住職は6人に戒名を授けた。寺の過去帳は「子孫が仏事で訪れた際は、丁寧に取り扱うこと」と後代へ書き残している。
 中村秀男住職(79)は「異郷の地で亡くなった6人は、さぞ無念だっただろう」と同情する。盆や彼岸には墓の周りを清め、供え物をして読経を欠かさない。
 登米市の千葉賢一さん(59)は、21歳で戦死した阿部勝之進の妹の子孫に当たる。2013年から毎年墓参りし、今年も8月上旬に親類と寺を訪ねた。「寺には150年間も弔ってもらっている。申し訳なく、本当にありがたい」と話す。

[秋田戊辰戦争]奥羽越列藩同盟からの秋田藩離脱を契機に仙台、庄内、盛岡藩などの同盟軍と新政府軍との間で行われた戦争。秋田藩領などが戦場となった。仙台隊は湯沢、横手、大曲と進軍し、久保田、角館に迫ったが東北南部の戦況悪化により撤退した。


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2018年10月02日火曜日


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