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<阿武隈川物語>(13)逆流防ぐ400年の苦闘

台風13号の接近に伴い、排水作業を行う江尻排水機場=2018年8月9日
藩制時代に由来し、明治時代に石造りになった江尻閘門(角田市郷土資料館提供)

第3部 治水(2)排水機場

 台風や大雨になると、阿武隈川沿いの角田市の江尻排水機場は慌ただしくなる。「あぶくま川水系角田地区土地改良区」の担当者がときに徹夜し、水位を画面で確認しながら、水門の開閉や排水ポンプの起動に追われる。

<水害隣り合わせ>
 排水機場は阿武隈川が増水すると水門で逆流を防ぎ、支流の尾袋川と雑魚橋川の水を排水する施設だ。
 本流が増水し、支流の流れをせき止める「バックウオーター」現象が西日本豪雨で注目された。支流が集まる江尻はバックウオーターが起きても不思議ではない場所だが、排水機場がそれを防いでいる。
 排水事業を担当する改良区職員渡辺寿伸さん(38)は「阿武隈川がどれだけ増水するか、山間部に降った雨が急に流れ込んでくるのか、状況判断が難しい。一番怖いのがゲリラ豪雨。逆流すると、稲が水につかってしまうので必死です」と説明する。
 市中心部の雨水も尾袋川を経て阿武隈川に排水される。排水機場のポンプは海抜14メートルにあり、市役所は海抜13メートル。排水機場が機能しなければ、市街地が広く浸水する恐れがある。そもそも角田盆地は約8000年前、水深約10メートルの入り江で、洪水の土砂の堆積で平野が形成されてきた。水害と隣り合わせなのだ。

<起源は藩制時代>
 角田の治水の要である排水機場の起源は、400年前の藩制時代にさかのぼる。1637年の洪水で26人が濁流にのまれ、角田館主石川宗敬が堤防約5キロと、木造の「江尻閘(こう)門」を築いた。阿武隈川が逆流すると、水圧で門が閉まる仕組みだ。1891年に石造りになった後、33年に動力ポンプ2基を備えた機関場が完成した。これで北角田の農地開発が劇的に進んだ。
 改良区副理事長で、排水機場から約2.5キロの北郷地区の専業農家面川義明さん(65)は「農地を守ることは地域を維持すること。治山治水はまちづくりの基本、政治そのものだ。角田は阿武隈川とどう付き合うかに尽きる」と断言する。
 排水機場はポンプや除塵(じん)機の老朽化が著しい。市と改良区は2019年度の補修着工を国に要望し、農林水産省の概算要求に盛り込まれた。総額約59億円、市負担も約5億円が見込まれる一大事業が動きだす見通しだ。
 大友喜助市長は「排水機場が万一ストップすれば、角田のまちが水没する。水害対策は最優先だ」と述べる。治水の営みは、角田のまちづくりの歴史そのものでもある。

[江尻排水機場]国営かんがい排水事業で整備され、1992年に稼働。ポンプ4基の排水量は毎秒62立方メートルで、かんがい排水事業では東北一の規模。建設費約47億円。受益面積約2740ヘクタール。市が管理し、あぶくま川水系角田地区土地改良区が運転を受託する。


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2018年10月03日水曜日


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