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<震災7年7ヵ月>福島から原発事故で北海道移住 2度目の被災、それでも奮闘

雑貨などの販売イベントに参加し、自作の詩を披露する二瓶さん=9月30日、札幌市厚別区
北海道で生まれた長男をあやす宍戸さん=4日、札幌市南区

 最大震度7の大きな揺れから6日で1カ月が経過した北海道には、東京電力福島第1原発事故で福島県から避難した1000人以上が今もとどまる。原発事故から間もなく7年7カ月。古里を離れた「避難者」から、新天地に根を下ろした「移住者」として、度重なる被災を乗り越えようと誓う。(報道部・桐生薫子)

 地震があった9月6日午前3時8分、北海道洞爺湖町に暮らす二瓶勇樹さん(45)は強い揺れで目を覚ました。緊急地震速報に一瞬体がこわばったが、「放射能の心配はない」と不安はすぐに和らいだ。
 福島市出身で、原発が爆発したあの日、妻(42)のおなかに三女(7)がいた。当時は長女(13)、次女(10)も就学前。「子どもと後悔のない選択をしたい」と2011年10月、自主避難を決断した。
 保険会社の営業マンだったが、移住を機に詩を書く仕事を始めた。出会う人々に即興で言葉を披露する路上詩人に興味を持ち、13年4月、札幌市の商店街に出て初めて筆を執った。
 原発事故後は国や東電を恨み、わが身を襲った不幸に落ち込んだ。「誰かのせいにしていては人生もったいない。娘に楽しそうな背中を見せたい」と奮起した。
 生活は厳しいが、イベントに出展する機会も少しずつ増えた。自分が紡ぐ言葉に涙ぐむ人もいる。今年6月、これまでの道のりを本にして出版した。北海道の自然を走る娘たちの写真に「あの時の涙が今日の笑顔につながった」と詩を添えた。「誰かの生きるヒントになれば」と書き続ける。
 「避難という悲しい文脈はもう終わり。今の暮らしが充実しているから」。郡山市のラジオパーソナリティーを経て札幌市に移った宍戸慈(ちか)さん(34)は、親も終日過ごせる市内の幼稚園に長女(4)、長男(1)と通う日々を送る。
 避難を決めたのは11年12月。当時は独身で、周囲から「放射能への過剰反応だ」と批判された。「なんて多様性のない社会なんだろう」と悲しくなったが、「いつか授かる子どものために」との思いが強く、単身で北海道に渡った。
 現地で避難者の座談会などに参加し、原発事故の実情を発信。福島にも定期的に戻り、女性と悩みを共有する活動に力を注ぐ中で「移住」の節目を迎える。
 13年、南相馬市で復興支援に携わっていた孝介さん(36)と北海道で新生活をスタートさせた。結婚したのは3月12日。放射能が福島を汚染し、人生を変えた日。「苦い記憶から未来を切り開く日に塗り替えたい」との思いを込めた。
 北海道地震後の今年9月28日、郡山でチャリティーイベントを開いた。売り上げは厚真(あつま)町など被災地への支援に役立てるつもりだ。「2度被災した私たちだからできることがある」と信じる。


2018年10月10日水曜日


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