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蔵王遭難事故から100年、教訓伝えたい 仙台二高山岳部OBが追悼行事「今生きる者の責任」

鎮魂の青年像の前に立つ大坂さん(左)と月田さん=仙台市青葉区の仙台二高

 宮城、山形両県にまたがる蔵王連峰で、1918年10月23日に起きた旧制仙台二中(現仙台二高)の遭難事故から100年になるのを機に、仙台二高山岳部のOB有志が追悼行事を企画した。16日に慰霊登山を行い、27日には仙台市青葉区の母校にある追悼の石碑や青年像を訪ね、現役部員に事故の教訓を伝える。
 遭難事故は仙台二中の生徒151人と引率教員4人が、宮城県川崎町の青根温泉から熊野岳に向かう修学登山で起きた。難所の「馬の背」付近で猛吹雪に見舞われ、生徒7人と教諭2人が死亡した。
 慰霊登山の16日は、引責辞任した当時の校長渡辺文敏氏の命日。70〜80代のOB4人が、熊野岳山頂にある慰霊碑前で祈りをささげる。亡くなった教諭2人がキリスト教徒だったことから聖書を読み、献花する。
 OBの一人で山形市の無職月田文和さん(84)は2004年、渡辺氏の遺族の慰霊登山に協力した。「その後も個人的に慰霊登山を毎年続けている」と話す。
 追悼行事を企画した仙台市泉区の元中学高校教諭大坂欣哉さん(78)は、高1の時に学校の図書館で入手した仙台二中の「蔵王山遭難顛末(てんまつ)概略」の冊子と、当時の河北新報記事で独自に事故原因を探った。
 大坂さんによると、1918年は降雪が平年より26日も早かった。異例の寒波にもかかわらず、わらじ履き、雨具無しで約140キロの行程を強行したという。
 大坂さんは「若くして亡くなった生徒たちを追悼するのは今を生きる者の責任だ。同じ悲劇を繰り返さないよう、史実を次代に広く伝えたい」と強調する。


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2018年10月15日月曜日


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