宮城のニュース

<女川原発1号機廃炉>脱原発活動に長年関わる2人「その先は」不安視

宗悦さんらが取り組んだ反原発運動の写真を眺める阿部さん
女川原発の建設反対運動を展開した女川町民の写真を手にする篠原さん

 東北電力が25日に表明した女川原発1号機(宮城県女川町、石巻市)の廃炉決定を、「原発神話」にあらがい続ける人々は複雑な思いで受け止めた。東京電力福島第1原発事故を経た今、再稼働の動きは全国で相次ぐ。建設当初から女川原発と向き合ってきた2人は、歩みを振り返りつつ廃炉の先を不安視した。

◎遅い判断、課題は山積/親子2代で脱原発 女川町議・阿部美紀子さん(66)

 女川町議の阿部美紀子さん(66)は、父宗悦さん(2012年死去)と親子2代で脱原発を訴えてきた。「遅すぎる判断。2、3号機もある。父への良い報告とはまだ言えない」と厳しい表情を浮かべた。
 町議会が原発誘致計画を認めた1967年、宗悦さんは地元の漁業者らと「原発設置反対女川同盟会」を結成した。69年には隣接する旧牡鹿、雄勝両町の住民らと期成同盟をつくり、反対運動の先頭を走り続けた。71年に町議に初当選し、2007年まで通算8期務めた。
 「原発は百害あって一理なし」。口癖のように言っていた宗悦さんの背中を見て育った。反原発運動に参加し、宗悦さんが原告団長を務めた差し止め訴訟にも加わった。
 11年の東日本大震災の津波で自宅を失った。親戚宅や避難所を転々とする間も思いは揺るがなかった。その年の4月下旬、がれきに埋まった自宅跡地に父娘で足を運ぶと、泥だらけのもも引きが目に入った。「全ての原発 廃炉に」。ペンで大きく書いて掲げた。
 11年11月の町議選。阿部さんは告示1週間前に立候補を決めた。人前に出るのは苦手だったが「反原発運動の火が消えてしまう」という周囲の声に支えられ、初当選した。父や仲間の思いを胸に、今は2期目の議場に立つ。
 廃炉決定の知らせを受けても、手放しには喜べない。阿部さんは「作業員の健康リスクや放射性廃棄物の処理など課題は山積している」と指摘した。

◎共同体破壊、怒り今も/脱原発東北電力株主の会代表・篠原弘典さん(71)

 脱原発東北電力株主の会代表などを務める仙台市泉区の篠原弘典さん(71)は女川原発建設前から反対運動に携わり、間もなく半世紀になる。「1号機は浜の共同体を破壊した。廃炉は当然だ」と怒りをにじませた。
 東北大工学部原子核工学科に在籍中の1970年10月、女川町であった漁民総決起集会に参加した。「原子力の社会的意義を疑った」。篠原さんは町内に借りた長屋を拠点に「事故が起きれば大量の放射性物質が放出される」と危険性を訴えるビラを配り、長い闘いに身を投じた。
 78年、漁協が女川原発建設に伴う漁業権放棄を可決し、抵抗のすべを失う。「浜に残されたのは、巨大な権力と積み上げられた補償金によって分断された人々だった」と憤る。
 81年に起こした全国初の建設差し止め訴訟は2000年に最高裁が訴えを棄却した。それでも屈せずに仲間と脱原発運動を続ける中で、原発事故は起きた。
 「福島を原発撤退の出発点にしなければならないのに、国や電力各社は再稼働へと突き進んでいる。事故は起こり得る」
 時代も変わりつつある。国が原則40年と定めた運転期間を待たずに東北電が1号機を廃炉とすることに「原発事故後の新規制基準で巨額の安全対策費が必要となり、経済合理性が失われるなど原発の問題を象徴している」と指摘する。
 「放射性廃棄物の処分も決まらない。廃炉を機に、多くの人に原発を見詰め直してほしい」と願う。


2018年10月26日金曜日


先頭に戻る