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<西澤潤一さん死去>評伝 独創と研究第一貫く

 強烈な個性と豪放な語り口、時にはじける笑い声に、会うたびに圧倒された。21日、92歳で亡くなった元東北大総長の西澤潤一さんは、闘う研究者として、東北大の伝統である独創、研究第一主義を具現し、貫いた。周りを引き付ける強力な磁力を持ち、生涯にわたって異彩を放ち続けた。

<逆境を原動力に>
 24年前の10月、仙台市内の自宅で、西澤さんを多くの記者と囲んでノーベル賞の物理学、化学賞の発表を待った。秋の夜の風物詩はほぼ10年続いていた。受賞はかなわなかったとの知らせにも「あ、そうですか」と受け流し、ビールとすしで放談会を催すのが恒例となっていた。
 半導体研究の世界的権威として、日本学士院賞、文化勲章、米国電気電子学会エジソンメダルなどに輝いたが、ノーベル賞だけは候補にとどまった。運がなかったというしかない。
 現在の大学院生に当たる特別研究生時代、PINダイオード、後の静電誘導トランジスタにつながる理論を発明、考案した。半導体分野に新天地を開く成果にもかかわらず、欧米崇拝色が強い学会や業界からは、ことごとく批判、無視された。不遇、逆境が反骨精神を鍛え、さらなる研究への原動力となって光通信3要素の提案、高輝度発光ダイオードの開発につながる。
 自らへの厳しさと同様、後進の指導ぶりは徹底し、西澤道場と呼ばれた。「実験データが出たら、なぜそうなるのか、常にその意味を考えろ。教科書に書いてあることや通説は、自分で確かめない限り信用するな」。ぶれることはなかった。研究の基本姿勢「西澤三原則」には(1)人のやっていないことでなければならない(2)他より遅れてはならない(3)間違ってはならない−と掲げた。
 フラッシュメモリーを開発した東北大名誉教授の舛岡富士雄さん(75)は、大学院までの6年間薫陶を受けた。「自分を鍛えるために西澤研究室を選んだ。研究への姿勢、手法を学んだ」と恩師を語っていた。

<暗記重視に警鐘>
 大学人、教育者としても積極的に活動、発言を続けた。東北大総長として青葉山新キャンパス構想を推進したほか、岩手県立大と首都大学東京の初代学長を務めて基礎を築いた。
 「日本が国際社会で生き抜くためには科学技術しかない」。こう確信するだけに、暗記重視の教育、基礎研究への予算が削られる現状に強く警鐘も鳴らしていた。
 現場の記者として、最後に取材したのは2005年2月、岩手県立大学長の退任記念講演だった。西澤さんは講堂を出ると女子学生らに囲まれて色紙を出された。したためたのは座右の銘「愚直一徹」だった。全ての学生、研究者へのメッセージと受け取った。(報道部長 冨樫茂)


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2018年10月27日土曜日


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