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秋田・大曲の歴史伝える日記後世に 元町長・田口謙蔵氏が記述、大仙市がDB化 「花火」開催の経緯判明

田口 謙蔵
日記の一部。小さな字でびっしりと書かれている

 現在の秋田県大仙市で新聞社社長や大曲町長を務め、俳人としても活動した田口謙蔵(1883〜1956年)が残した日記をデータベース化する事業を市が進めている。明治後期−昭和前期の地域の政治、経済、風俗が分かる貴重な資料で3年後の完成を目標にしている。 データベース化の事業は、地域史料の収集・保存・公開などを担う大仙市アーカイブズが2016年に始めた。6人のボランティアが日記を解読し、現代仮名遣いに置き換えてパソコンに入力している。
 田口の日記は、22歳だった1906(明治39)年から72歳で亡くなる56(昭和31)年まで半世紀にわたって書かれた。田口家が2005年ごろ市に寄贈。入力作業は現在、1926(大正15)年まで到達した。
 解読の進展により、1回目の「大曲の花火」が1910年に開催されるに至った経緯の一端が判明した。
 仙北新報(現秋田民報)の発行に参画した田口は同年7月18日、地元選出の衆院議員榊田清兵衛から大曲の諏訪神社の祭典の余興で打ち上げていた花火を「奥羽六県煙火共進会」として仙北新報主催で実施できないかと打診された。
 共進会は8月26日に開かれ、田口は「兎(と)に角(かく)すばらしい花火のを上げたり(原文のまま)」と記している。46年に「全国花火競技大会」と名称を変え、今年92回目を迎えた。
 日記には流行のビリヤードに興じたり、芸者を呼んで酒宴を催したりした人間くさい記述も随所にある。
 田口は東京専門学校(現早大)在学時、作家坪内逍遙に師事。俳人の高浜虚子や河東碧梧桐らと交友を続けていた。
 アーカイブズの高橋一倫主査は「東京の文人との関係なども興味深い。文語体と口語体が混じって文字に癖があり、解読作業は大変だが、検索できる仕組みにして公開したい」と話す。

[田口謙蔵]秋田県仙北郡大曲村(現大仙市)生まれ。旧制秋田中(現秋田高)−東京専門学校中退。仙北新報社社長、大曲町長、秋田県議を歴任。「松圃(しょうほ)」と号して俳人や日本画家として活動し、県文化財専門委員となって文化財の発掘にも努めた。


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2018年10月28日日曜日


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