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時代、市長カラー色濃く 仙台市総合計画の変遷

 東北の中枢都市の新たな羅針盤づくりが始まる。仙台市が策定に着手する次期総合計画(2021〜30年度)は、人口減少時代の都市像をどう描くかが焦点となる。総合計画には策定時の時代背景や市政の状況、市長のカラーが色濃くにじむ。過去の総合計画の特徴的な施策から、まちづくりの変遷をたどる。

 故島野武市長が6期目に策定した新基本計画(1980〜90年度)は、都市の住みよさを重視した。適正な都市規模を人口100万と定め、それに見合う都市機能の高度化、政令指定都市の実現を明記した。
 島野氏が1984年に死去後、市は87年に宮城県宮城町、88年に泉市、同県秋保町と合併。人口は71万から88万に増え、市域は3.3倍に広がった。89年に全国11番目の政令市に移行し、大都市の仲間入りを果たした。
 後継の総合計画(87〜2000年度、1990年改訂)は、石井亨市長が1期目に手掛けた。バブル景気などの時代背景もあり、まちづくりは拡大路線が貫かれた。
 長町、泉中央、愛子、東部4地区の「副都心」形成を打ち出し、旧城下町の同心円的な市街地形成を転換した。「国際学術都市」など五つの都市像を掲げ、産学官で技術革新を図る「東北インテリジェント・コスモス構想」を推し進めた。
 21世紀の到来を前に、2期目の故藤井黎市長が3年前倒しして策定した基本計画「仙台21プラン」(98〜2010年度)は一転、「コンパクトシティー」を旗印にした。JRや市地下鉄南北線、東西線の沿線に市街地を集約する方針を打ち出した。
 プランは都市の持続的発展を強く意識。緑豊かな杜の都を再生する「百年の杜づくり」を提起し、まちづくりに行政と市民の「協働」という概念を取り入れた。
 梅原克彦市長時代の4年間を経て、奥山恵美子市長が1期目にまとめた現在の総合計画(11〜20年度)は市民協働の深化をうたった。「市民力」の発揮を中心に据え、地域課題の自発的な解決を目指した。
 東日本大震災で先延ばしになったが、近い将来の人口減少を見通し、縮小社会に立ち向かう布石も打った。地域での支え合い、公共施設の長寿命化などを重点施策に盛り込んだ。


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2018年10月29日月曜日


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