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<仙台いやすこ歩き>(89)しょうゆ/まろやかで甘く深い味

 いやすこ心も肥ゆる秋。今回のテーマは「しょうゆ」。前回どんどん焼きを取材した際の「仙台って、しょうゆ文化だよね」という店主の一言に導かれたのだ。
 画伯と向かったのは仙台市青葉区柏木の「株式会社横山味噌醤油(みそしょうゆ)店」。巡らせた白壁の塀からのぞく立派な樹木、店は蔵造りで老舗の趣。中に入れば土間と一段高い板床。時代劇に出てくる商いの店のようで、五つ玉のそろばんをはじいているに違いないなどと妄想してしまう。
 迎えてくれたのは代表取締役の横山洋平さん(65)。しょうゆの話を聞きに来ましたと告げると、「元は『横山醤油店』だったんですよ。味噌も造っていたので15年前に改称しました」とにっこり。「曾祖父は仙台藩の下級武士で、明治維新後、村田町の商家ででっち奉公をして、憧れの商売を始めるために勉強したそうです」。当時の憧れの商売が米、酒、みそ、しょうゆだったそう。
 「1873(明治6)年に八百屋、雑穀屋から始まり、1909年、曾祖父が60歳の頃にみそしょうゆ造りを始めました」。初代横山清平さんは、18歳で明治維新という歴史の大転換に遭遇、力強く前を向いて生きたのだ。
 奥の工場へ案内してもらった。100年以上に及ぶしょうゆ造りは、今も明治時代に建てた蔵で行われている。以前は南部杜氏(とうじ)が冬に住み込んで造ったそうだ。しょうゆの原料は大豆と小麦、塩。「かつては原料から一貫して手作りでしたが、今は原料からもろみを搾ってできる生揚げを仙台味噌醤油組合で共同購入し、それ以降の火入れなどで自分の店の味を出しているんです」
 4500リットルのタンクが並ぶ工場には甘い香り。「濃口」「淡口」など商品別に配合、火入れをする。ここが重要な工程で、一気に85度くらいまで温度を上げる。さらに中3日寝かせて、おり(大豆や小麦のかす)を沈ませ、上澄みだけをろ過し、検査後、瓶詰めする。
 この瓶詰め作業がすごい。年季の入った機械と人の手でガラスの一升瓶に詰め、打栓機でふたをする。ラベル貼りも手作業で、初代清平の名から取った「ヤマセイ」のラベルが一本一本に貼られていく。目を凝らして巡ってきたしょうゆ造りの完成場面に「こんなに大切に造られているんだ。うれしくなっちゃうね」と画伯。
 しょうゆ造りを担当する川村隆平さん(31)が「伝統の味を変えてはいけない」と日々の作業に向き合いつつ、「ものづくりは楽しいですよ」と生き生き話してくれるのもうれしい。
 今でも「孫はここのじゃないと食べないんですよ」と、引っ越し先から買いに来るおなじみさんがいるそう。「しょうゆ、みそは慣れ親しんだ味がいいんでしょうね」と横山さん。
 ガラガラと戸を閉めて帰るいやすこ2人の手提げ袋には、ヤマセイラベルのしょうゆやそばつゆがずっしり。家に帰って味わうしょうゆの、ふわっと鼻をくすぐる香り高さ。いつもの刺し身が極上品に。新米のご飯にかけて食べてもおいしい。まろやかで甘くて深い味わい。画伯が一言、「『仙台しょうゆ』ブランド、あってもいいよね」。大賛成!


◎ルイ14世も隠し味に使う

 しょうゆは日本の伝統的醸造調味料で、塩・甘・酸・苦・うま味の五味を併せ持った総合調味料だ。そのルーツとされる中国の醤(ひしお)(塩辛のようなもの)は約3000年前の記録にあり、日本の記録としては大宝律令(701年)で大豆を原料とする各種の醤などが造られていたとある。
 醤油(しょうゆ)の文字が初めて現れるのは室町時代。この時代に、みそよりも造り方が複雑なしょうゆの製造が始まっている。
 今では、海外百十数カ国に輸出されているしょうゆだが、美食家として有名なフランスのルイ14世(17〜18世紀)も、隠し味にしょうゆを使っていたという説がある。しょうゆは豊かな味とともに香りの宝庫で、300種類以上の成分を含む。火入れの工程でしょうゆに火香(ひが)が付いて香りが豊かになる。
 ちなみに、種類は濃口、薄口、白、溜(た)まりなどあるが、薄口は色を薄くするために造られたもので、塩分は濃口より2%程度多い。



 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2018年10月29日月曜日


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