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<まちかどエッセー・米田公男>心に響くものを残したい

[よねだ・ひろおさん]1955年広島市生まれ。墓石、モニュメントなどのデザイン設計と施工を行う有限会社しんせい代表取締役。終活カウンセラー。一般社団法人シルバーパートナーズ会員。「仙台発・大人の情報誌 りらく」に2018年6月号まで10年間、コラム「亡くなるまでの智恵とその後の家族のために」を連載。宮城県利府町在住。

 奈良市の東大寺に行くと、大仏殿の右側奥の小高い場所に、早春の風物詩「お水取り」で有名な二月堂があります。私がそのお堂の現上院院主(上之坊住職)と知り合ったのが、今から45年前のことです。18歳の私が南インドの中心都市バンガロールに住まいしていた時、早朝に突然目の前に現れたのが、マドラス大学でサンスクリット語を学んでいた24歳のご住職でした。
 東大寺塔頭(たっちゅう)の子どもとして生まれた彼は、その宿命を嫌がり、逆らってたどり着いたのが南インドの地。サンスクリット語を学びながら、自分の力ではあらがうことのできない道に入るための準備をしていたのかもしれません。
 反対に私は、これから何でもできる自由な立場にありながら、自分をどうすればよいのか分からず、南インドの太陽の下で悶々(もんもん)としていました。
 それから半世紀近くも音信不通だった2人が、ちょっとしたきっかけで昨年の11月に再会したのです。
 そして今年は、4月の多賀城市・東北歴史博物館の「東大寺展」。5月は宮城県松島町・瑞巌寺で行われた、東大寺と神奈川県鎌倉市・鶴岡八幡宮共催の「東日本大震災物故者慰霊と被災地復興への祈り」。9月の陸前高田市でも同様の「祈り」が行われ、3度も住職とお会いすることとなり、運命の不思議を感じたのです。
 「かつての東大寺のお坊さんはお墓がなかった。境内に墓地もなく、檀家(だんか)という制度もありません。1200年以上にわたって仏教を世に広めるためにだけ存在するお寺が、奈良東大寺なのです」と話す住職のお顔は輝いています。
 仏教(宗教)という、残さなくてはならないものが彼にはある。そして同じように私にも、仕事(お墓やモニュメントを建てる)という残すものがある。45年前の2人と、今は違う。皆さんの心に響くものを残したいと思うのです。

 


2018年11月05日月曜日


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