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<E番ノート・球譜>現役時代の苦難を糧に 中谷仁さん、母校・智弁和歌山監督就任

「グラウンド整備も監督の仕事」と整備用車両を運転する智弁和歌山高の中谷監督=9月

 東北楽天に捕手として2011年まで6季在籍した中谷仁さん(39)がこの秋、母校・智弁和歌山高の監督に就任した。秋季近畿大会で春夏の甲子園連覇中の大阪桐蔭高を破るなど準決勝まで進み、来春の選抜大会出場を濃厚にした。プロ時代は15年間で111試合出場。苦難続きで輝ける時期がわずかだっただけに、第2の野球人生を幸先良く滑り出したことに拍手を送りたい。

<2軍暮らし続く>
 1997年夏、主将として母校を甲子園大会優勝に導き、秋のドラフトは阪神から1位指名を受けた。期待されたが2年目、不慮の事故で左目が失明寸前に。2005年オフに東北楽天へ移籍。そこでも藤井ら有力選手がいて2軍暮らしが続いた。
 08年秋、筆者が2軍練習場を訪れると探りを入れてきた。「今日は何の取材ですか」。戦力外通告でもない限り2軍練習場に報道陣が来ることは少ない時期。3季で12試合出場と危うい立場だったためか、そわそわした様子がうかがえた。
 翌09年は「常に今年が最後と思い続けた中、やっと働けた年」。中でも「あの試合が大きかった」という転機が、同年初めて出場した6月21日の阪神戦だ。
 五回、代打としてバッターボックスへ。首脳陣は「だめなら2軍行き」と見ていた。ここで能見からプロ初アーチを放つと、守備では盗塁王の常連赤星の二盗を阻止。元同僚の苦労を知る2人は報道陣に「中谷にやられた」と白旗を揚げる談話を出し、活躍の価値を高めてくれた。
 これ以降、嶋から正捕手の座を奪い、この年自己最多の55試合に出場。球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献した。

<球種決めに失敗>
 だが、CS第2ステージ第1戦、悔しいの一言では済まない失敗をした。福盛が日本ハムのスレッジに逆転サヨナラ満塁弾を浴びた。「『福盛の21球』と言われるが、全ては捕手としての経験のなさだ。あのまま勝っていたら日本シリーズに進む勢いになった」
 1ストライクからの2球目が命運を分けた。福盛はサインに2度首を振った。中谷は「落ちる球、緩い球の要求を相次いで拒まれた流れで、『これなら大丈夫』と思えないまま球種を決めてしまった」。選んだ外角へ逃げる変化球が痛打され「一球の怖さを思い知らされた」。「マウンドへ行って一呼吸置けば流れを変えられたかも」とも。万全を期す余裕がなかった。
 9年を経ても心の傷にかさぶたは残る。「まだあのことを『いい経験だった』とは言い切れない。選手に100パーセントの覚悟を持ったプレーをさせられるようになった時、『乗り越えられた』と思える」
 中谷さんの財産は阪神、東北楽天で7年間指導を受けた知将・野村監督の教え。恩師の言葉に「『失敗』と書いて『せいちょう』と読む」がある。9年前の記憶を糧とできた時、また一回り大きくなった姿を見せてくれるのだろう。(金野正之)


2018年11月05日月曜日


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