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<阿武隈川物語>(17)適地で育む命の輝き

蚕が繭をつくった回転まぶしを回し、風を当てる佐藤靖さん
蚕を飼育用のワラの籠「わらだ」に移す大張小の児童たち

第4部 養蚕(1)「後継ぎ」

 阿武隈川流域は日本有数の養蚕地帯だった。川沿いに良い桑が育ち、川や山地から吹く風が、涼しい気候を好む蚕に合った。養蚕は衰退が著しいが、再評価の兆しもある。蚕と生きてきた流域の生活風景を描く。
(角田支局・会田正宣)=第4部は6回続き

<年5回の繭出荷>
 白く美しい繭が、木製の「回転まぶし」にぎっしり詰まっている。上方に行く蚕の習性を利用し、上部が重くなるとまぶしが半回転し、蚕が程よく散らばる。蚕をまぶしに移す「上簇(ぞく)」から3日ほどで繭ができ、出荷となる。
 宮城県丸森町大張の養蚕農家佐藤靖さん(40)は10月18日、今季最後の繭を出荷した。5月から年5回の養蚕を終えた佐藤さんは「今年は晩秋の繭が良かった。台風が来たが、暖気を運んでくれて、蚕には悪くなかった」と笑顔を見せた。
 繭価の下落で、父喜一さん(70)は30年前に会社勤めになり、母恭子さん(69)が養蚕を担った。靖さんは次男だが、農業を志した。富岡製糸場(群馬県富岡市)の世界遺産登録(2014年)などが後押しし、群馬県で若い養蚕農家が就農しているが、以前は全国で最も若手だった。
 夏は午前5時起きで桑の枝を切る。上簇は夜中までかかることも。佐藤さんは「最後の一週間はとにかく桑を食べる。桑切りに追われ、飼っているというより、使われている気になる。人間が千年以上関わる蚕は不思議な魅力がある」と目を細める。

<衰退進み5戸に>
 全国で養蚕の衰退が進む。丸森町も今は5戸だが、宮城県内最大の繭産地だった。
 福島県川俣町には「小手姫」という古代の姫が養蚕と織物を伝えたという伝説が残り、信達地方(福島、伊達両市など)は古来、養蚕が盛んだった。靖さんは後を継ぐ前、川俣町の養蚕農家で1カ月研修した。
 10年かかって、やっと技術が身に付いたという。「阿武隈川沿いに伝わった養蚕は、山がちで耕地が限られる大張に合っている」と実感する。
 恭子さんは「立ちっ放しで足がむくむが、養蚕をしているうちは病気にならない」と笑い、「自分で選んだ道だから頑張ってほしい」と息子を見守る。
 地域の伝統を学ぼうと、靖さんの母校・丸森町大張小(児童17人)は1993年から養蚕の体験学習に取り組む。蚕を育て、糸繰りをする「まゆっこ活動」。蚕は佐藤家が提供する。
 6年生5人は12月上旬、卒業証書用のシルク和紙の紙すきもする。証書に入る校章は、繭と糸繰り機のデザインだ。
 祖父母が養蚕を営んでいた6年佐藤悠太君(11)は「おじいさんやおばあさんがしていた養蚕を体験できてうれしい。ちょっとかわいそうだけれど、命をいただくので、卒業証書を大切にする」と目を輝かせた。

[養蚕の衰退]大日本蚕糸会(東京)によると、最盛期の養蚕農家は1929年に約220万戸、繭生産量は30年に約40万トン。2017年は養蚕農家が全国336戸で、最多の群馬県が119戸、福島県は次いで44戸、宮城県は15戸。繭生産量は全国125.2トンで、最多の群馬県45.7トン、福島県21.3トン、宮城県3.9トン。


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2018年11月13日火曜日


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