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<阿武隈川物語>(18)科学持ち込み腕競う

蚕種紙を手に取る冨田さん。来年の養蚕まで入念に温度を管理する
江戸時代中期の繭見本と日本初の温度計「蚕当計」=伊達市泉原養蚕用具整理室

◎第4部 養蚕(2)蚕種屋

 阿武隈川から約500メートルにある伊達市伏黒の冨田蚕種製造所。蚕の卵を採る「蚕種屋( たねや )」の9代目、冨田克衛さん(80)は、10月上旬に卵が産み付けられた蚕種紙の管理に余念がない。
 春蚕の産卵期と同様に、25度で約60日間保つ。徐々に温度を下げて越年させ、来年の養蚕に使う。出荷時期から逆算し、温度と日程の管理が大切になる。晩秋の蚕種採りは、空調がなかった時代は難しかった。昭和初期に可能になり、「文化採り」と呼ばれる。

<品種改良重ねる>
 冨田さんは今や、個人業では日本でただ一人の蚕種屋だ。「夏は暑過ぎず、冬は5度前後が良い。人家のない川筋の桑畑はハエの被害がなく、蚕種屋は川沿いで生計を立てる。気候も桑も、阿武隈川のたまものだ」と感謝する。
 交配も蚕種屋の腕が問われる。オスは35度前後で育てて早くガにし、メスは27度前後で羽化を遅らせる。メスは羽化当日から産卵を始めるため、オスを先にかえしておくのだ。
 雑種同士による第1世代が遺伝的に優れているのが、メンデルの法則。これを蚕に応用したのが、福島県蚕業学校(現福島明成高)初代校長の外山亀太郎だった。今の蚕種は、日本種と中国種の交配種が基本だ。
 冨田さんは「かつて福島にも在来種が数多くあった。品種改良の蓄積の上に今がある」と語り、自らも品種改良に取り組む。

<全国に独占販売>
 伊達地方は江戸時代から蚕種業の本場だ。伏黒や梁川など39村が1773年、幕府の許可を得て「奥州蚕種本場」を名乗り、全国に蚕種紙を独占的に販売した。
 伊達市文化課の学芸員山田将之さん(37)は「江戸時代前期に本場だった結城地方(茨城県)が鬼怒川の洪水で壊滅し、伊達の優位性が高まった。産地偽装が起きたほど、伊達ブランドが確立していた」と解説する。
 同市泉原養蚕用具整理室に収蔵される伊達地方の養蚕関係用具=?=には、1752年にさかのぼる蚕種紙業者の繭見本が残る。梁川の中村善右衛門が1849年に制作した日本初の温度計「蚕当計」もある。勘に頼っていた養蚕に科学を持ち込んだ。
 明治時代に生糸が日本の主要輸出品になり、製品の規格統一の必要性などから国が統制した。蚕種製造も、個人業者から企業や官立の試験場に移った。
 整理室担当者の丹治純子さん(66)は「蚕種屋は技術を競い、研究熱心な科学者のようだった。産業革命が始まったのは繊維業から。養蚕は科学から世界経済まで、幅広い歴史を映し出す」とロマンに誘う。


【伊達地方の養蚕関係用具】
蚕種採取用の蛾(が)枠や検査用の顕微鏡、生糸を取る座繰り、機織り機など約5000点が伝わる。2530点が2008年、国登録有形民俗文化財に登録された。伊達市は今後、1344点を国重要有形民俗文化財に申請する方針。


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2018年11月14日水曜日


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