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<阿武隈川物語>(19)母から娘へ 紡ぐ思い

星さん(右)らに大内佐野地織りを教わるさくらさん(中央)
福島市内で戦後まで使われた弓棚式高機=福島市民家園

 阿武隈川流域は日本有数の養蚕地帯だった。川沿いに良い桑が育ち、川や山地から吹く風が、涼しい気候を好む蚕に合った。養蚕は衰退が著しいが、再評価の兆しもある。蚕と生きてきた流域の生活風景を描く。(角田支局・会田正宣)

◎第4部 養蚕(3)織り姫

 宮城県丸森町大内佐野に伝えられる「大内佐野地織り」の保存会館に、使い込まれた手織り機12台が所狭しと並ぶ。地区はかつて養蚕が盛んで、各家庭に織機があった。ほそぼそと続いた地織りを残そうと、1976年に保存会ができた。
 会長の星とみ子さん(78)は「明治時代、阿武隈川沿いの小斎(丸森町)や枝野(角田市)出身の嫁が機織りを伝えたと聞く。福島や仙台と舟でつながっていた川沿いは栄え、ハイカラだった」と語る。
 星さんの嫁入り道具は母の手織りの反物を染めた薄紅色の羽織と緑の袷(あわせ)だ。星さんも繭を出荷して残ったクズ繭から糸を取り、肌着やふんどしを織った。

<「恩返ししたい」>
 女性の手仕事の織物は「手前織り」と呼ばれた。星さんは「今は何でも買えば済むが、昔は何もなかった。絹だけは家にあった」と懐かしむ。
 今年3月に入会した地元の横山さくらさん(47)は曽祖母の代の織機を使う。平織りからスタートし、模様を複雑に織り込む組織織りも習い始めた。糸や生地には事欠かない。母の故紀代子さんが一部屋分を残してくれた。
 紀代子さんは東日本大震災の3日前、福島県立医大(福島市)で心臓を手術した。病室のテレビで津波の映像を見て、精神的ショックが大きかったという。約3週間後に70歳で亡くなった。
 「もともと体調が優れなかったが、術後すぐに震災があってかなり影響したと思う」と涙をにじませるさくらさん。「おかんに教わっておけば良かったとつくづく思う。その分先輩から吸収し、おかんにできなかった恩返しをしたい」

<郷土の宝後世に>
 手前織りは、阿武隈川上流の福島県内でも盛んに行われた。福島市民家園手織りの会顧問の佐藤和子さん(85)は「庶民の家に織機があり、高度な組織織りを手掛けていたのが阿武隈川流域の特徴。養蚕地帯だった上、明治維新で職を失った伊達家の織師が技を教えたとも言われる」と話す。
 佐藤さんは福島県や丸森に伝えられ「縞(しま)帳」と呼ばれる昔の織り方手引書を調べてきた。福島市の旧家に残る明治後期の縞帳にあったのが、きめ細かな市松模様の「八ツ橋」。震災を挟んで5年かけ、2012年10月に再現した。福島で戦後まで使われた「弓棚式高機」に挑戦した。
 佐藤さんは「娘に似合う柄、息子には紋付きと、女は家族一人一人を思って織った」と想像を巡らし「震災を経ても高機が無事でほっとした。郷土の宝を後世につなぐことができて良かった」とほほ笑んだ。

[弓棚式高機]経糸を通す「綜絖(そうこう)」を竹でつる手織り機。ロクロ式は綜絖が2枚1組で上下して開閉。これに対し弓棚式は綜絖が1枚ずつ下がるため8枚使えるものもあり、より複雑な織り方が可能になる。福島市民家園に2台が伝わる。


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2018年11月15日木曜日


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