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<阿武隈川物語>(20)伝統の技 薄さ世界一

薄手のシルク生地を生産する斎栄織物の工場。糸切れを防ぐため、織機の調整が重要だ
世界一薄いフェアリーフェザーでできたストール

◎第4部 養蚕(4)絹の里

 「フェアリーフェザー(妖精の羽)」の名の通り、世界一薄いシルク生地が福島県川俣町にある。糸の細さは髪の毛の6分の1。製造は糸が切れないよう、適度な張力や織機の速度の調整に熟練の技が問われる。

<近代日本に貢献>
 創業66年の「斎栄織物」が2012年に開発した。デザイナー桂由美さんから「花嫁が楽に着用できる薄くて軽いドレス地ができないか」とヒントを得た。その年の「ものづくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞。東京電力福島第1原発事故に悩む福島にとり、明るい話題の一つとなった。
 斎藤栄太常務(37)は「川俣シルクはもともと薄手で、産地の伝統と自社の技術を生かした高付加価値の商品を作りたかった。川俣の知名度が上がり、地域と業界の活性化につながってうれしい」と喜ぶ。
 阿武隈川支流の広瀬川沿いで、養蚕地帯を抱えた川俣は古来、絹織物の集積地だった。近代日本の蚕糸業発展に伴い、川俣産の薄手の絹織物「軽目羽二重」は主に米国に輸出され、まちは繁栄した。東北初の日銀支店が福島市に開設されたのも、蚕糸業関連の金融ニーズのためだ。
 元福島農蚕高(現福島明成高)教諭で町文化財保護審議委員の大竹篤さん(68)は「欧米列強の植民地化に対し、日本が貿易均衡を保ち、独立を維持できたのは生糸による外貨獲得のおかげ。福島の生糸は近代日本に決定的な役割を果たした」としつつ、「伝統的な産地だった福島は家内制手工業のまま、工業制への転換が遅れた」と指摘する。

<医療分野 応用も>
 川俣は電動織機の発明者も輩出したが、農家が家で糸を取る「座繰り製糸」が長く主流だった。富岡製糸場が立地された群馬県や長野県で器械製糸が導入され、資本の集中が進んだのと対照的だった。
 生糸輸出は1929年の世界大恐慌で暗転。戦後は日米繊維交渉による輸出規制や、廉価な中国産などとの競争にさらされた。
 斎栄織物は主力のスカーフに加え、タイプライターリボンなど工業資材に生き残りを賭けた。原発事故後は同業者とニット、縫製の6社でグループ化補助金を活用し、県ファッション協同組合を設立。海外の展示への参加など積極果敢だ。
 シルクは最近、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の培養シートなど医療分野への応用も注目される。
 県織物同業会会長を務める斎栄織物の斎藤泰行社長(74)は「地域ですそ野まで成り立っているのが織物業。伝統を絶やしてはいけない」と前を向く。時代に翻弄されながらも産地を守る誇りと気概がある。

[近代日本の蚕糸業発展]日本の輸出は1888年に生糸40%、1908年に生糸29%、絹織物8%を占めるなど蚕糸業に支えられた。世界大恐慌をはさみ、米国での生糸価格は5分の1、円安の為替相場を考慮しても半値以下に下落。繭代価切り下げや女性労働者の賃金カットを招き、農村に深刻な影響を与えた。


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2018年11月16日金曜日


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